皆さんこんばんは。
桜も満開になって、心地良い季節になりましたね。
近所の桜並木がとても綺麗で、僕はわんこのリードを鞄に忍ばせてよく散歩をします。
さて、介護のうえで、悩みの種になるのがトイレの介助。
生物学的な性差だけでなく、培ってきた文化の中で潜在的な羞恥心は大きいものです。
普通なら、人としての尊厳を傷つけないために苦慮するのですが、
うちの場合はそれがまったくないので、他の人と違って羞恥心がないのは楽です。
トイレに行きたいは生理現象。
しかし、すべてに介助をしてしまうと残存している能力が消滅してしまいます。
だから、出来る限り自分の力で排泄行為を維持してあげることが大切です。
※3月28日追記
①トイレまでの歩行の介助をしたら服は自分で脱がせる。
②終わるまで外で待機して声がけをする。
③ウォシュレットの使い方を教えて自分で清拭してもらう。
④紙パンツ、パンティーを履き替えてもらう。
⑤服を着てもらう。
清拭はテキトーなので拭いてあげて、トイレは流してくれないので僕が流します、、、
と、これで済めばいいのですがそこは悪巧みをする両親のこと、まだ続きがあります。
大便をいじる、いわゆる弄便をするのです。
あとは流してはいけない物をトイレにぶち込んで壊したこと30回以上。
これらの行為は典型的な認知症の症状なため、最初はどうしようか困惑していました。
怒れないし、泣きたいしで、それでも認知症なんだからと僕達は黙々と対処いていて。
でもある日、親戚に電話している内容でこれがわざとやっていることだとバレたのです。
両親は開き直って笑っていましたが、相方は有無をいわさず親戚の番号をその場で消去。
二度と家の敷居をまたがないで欲しいと先方へ連絡していました。
その頃、使途不明金があったので、そういう人を家に入れたくなかったのもあります。
片方はまだら惚けではあるので、その強いエネルギーを他へ向けてほしいものです。
だから、こういう親なのでいろいろと見極めは難しい。
それでも顔に出さずに何年も辛抱強く付き合っているうちに、
両親もコイツらは堪えないからやっても無駄だとようやく分かりつつあります(笑。
こういう何してもいいと思っている性格の悪い親とは我慢くらべをするしかない。
また、薬のせいか頻尿なので、とにかく回数が多いために目が離せません、、、
排泄のコントロールなんかできないから、介護のうえで紙パンツの存在は大きい。
介助の軽減を考えたらほんとは紙パンツをして欲しいのですが、
母へ何度お願いしても話を聞いてもくれないので困っています。
尿漏れパッドすらしてくれないので毎度汚してしまい、
早く新しいパンツを出せと僕にそれを投げつけてくるのです。
一度、母の妹さんに「心をこめてお世話しろ、召使い風情が紙パンツ履けとか偉そうにすんな」とか言われて
その横でもっと言ってやってーとニヤニヤしている母を見たときは、さすがに気持ちが悪くなってしまいました(汗。
逆に父のほうは体裁を構う気持ちがあるので紙パンツをしてくれる。
履き心地重視の薄型のやつで本人も喜んでいました。
大人の紙パンツ市場は子供の紙パンツの売上を上回るといいます。
もう昔のようなゴワゴワした違和感の残るものではなくなり、だいぶ履き心地も改良されたと思います。
だけど、新しい生活を受け入れてくれるのは中々難しいですね、、、
怪我や事故なくその日を終えるだけで精一杯な状況に、ジレンマを感じることもあったり。
長寿は遺伝や環境要因によって左右されるのだと思います。
両親にとって生きるとはどういうことか?
生きている間にやりたい事とかそれとなく聞いたりするけどなしのつぶて。
ただ生きている、この事実がもう幸せなのかもしれないな。
両親を見ていると最近そう思うようになった僕です。
それじゃまた。