皆さんこんばんは。
人間は産まれてから、みんな緩やかに死に向かっている。
寿陵を建てる。古くからそれはすなわち長寿を招くとされている。
縁起担ぎなのだが、生前にお墓を建てておくことはわりと知られていることだろう。
存命中は刻まれている名前の色が違うので、霊園で見かけることもあるかもしれません。
また、仏壇と同じ祭祀財産の1つとされているので、親戚トラブルの回避にもなります。
そんなわけで、両親は何もしないし決めないですけど実はもう建ててあります。
いざっていう時に、残される僕達が慌てなくて済むのはメリットだったりするので(汗。
逆にデメリットは僕らがいつまでお墓の管理ができるかということだ。
僕も相方も両親と同じ墓に入るつもりはさらさらない。
あの世に行ってまで、毒親の世話をし続けるのはさすがに勘弁してほしい。
承継の必要がない永代供養墓が合理的だと、相方と話し合うこともあるがどうなのか?
永代供養料は最初に一括で納めれば、お塔婆代や管理費が不要のところもあります。
生きるのもお金、死ぬのもお金がいる。宗旨宗派のしがらみなどを考えたら、
僕らのような継いでくれる者がいない人にとっては、自分の始末もハードルが高い。
はたして、LGBTに理解のある宗教法人がいるのかどうか?
病気を抱えたパートナー同士、いつか来る未来に備えなければいけません。
やっぱり誰かに迷惑をかけたりしたくないしね。
ただ、昨今はお墓を建てるという概念が当たり前ではなくなっています。
樹木葬とか海に散骨したり。
僕も相方も墓石はいらない派なので、こっちがいいと意見が一致しました(笑。
ただ二人ともできたら同じ場所、そして手元供養のわんこ達もその時は一緒にしたい。
残された時間を考えたとき、人は死を強く意識せざるを得ない。
だけどそれは決してネガティブな発想ではなく、大切な人との触れあいを考える時間。
あるがままを受け入れるという事は、盲目的な執着を手放していく作業でもあります。
自分が、相方が、友人達が、それぞれ恐れから解放されるための機会かもしれません。
今は相方とこういう話まで出来るようになった関係が嬉しい。
心に整理がついてしまえば、もう怖いものはない。
死は人間が最期に味わえる「自由への選択」なのかもしれません。
そして、次へ旅立つときはきっと清々しい気持ちなんだろう、そう思うのです。
アメリカのNectome社は将来的に電脳化が可能になるという。
コンピューターへ個の意識体をアップロードすると、
その人格は記憶情報として永遠にインターネット上で生き続けるらしい。
しかし、ゴーストダビングされた人間は、その人格本人だと果たして言えるのだろうか?
有機体が消滅しても、電気信号で形成された世界のなかで構築されていく人格。
生きていた意識を成り立たせるなんて出来たら面白いよね。
あと100年後、空からゆっくり見てみたい。
その時は何食わぬ顔してネットにでも降臨してみますか、なんて(笑。
それじゃまた。