入浴介助。

2021/03/17

ゲイの生活。 介護生活

t f B! P L

 皆さんこんばんは。




澄んだ空の向こうには深い蒼をたずさえた風待ち草が揺れている。

宿り木から離れたはなびらは春の調べを奏でながら遠くへ飛んでいった。


限られた時間にしか見られない景色に僕は心を奪われてしまう。

雲の隙間から伸びた天の梯子に手を翳せばその瞬間、鮮やかな記憶が蘇る。


ねっ、今まで忘れていた君達との写真を古いスマホで見つけたよ。

今年はこの写真を大きく伸ばして、壁に飾ってみようと思うんだ。





さて、介護をするうえで欠かせない入浴介助。


この時期、僕達が両親の入浴介助をするのは週に4回。

それ以外はデイサービスで入浴してくるので有り難いことです。


介護が必要な老人の体を清潔に保つことは容易ではありません。

免疫の低い彼らにとって綺麗にするという事は尿路感染などの予防に繋がるのです。


ちょっとしたばい菌が万病の元になるのだ。



ただ力の入れ方や洗い方は、想像以上に細心の注意がいる。

高齢者が気持ちよく過ごせるためのケアではあるけど相手次第では地獄絵図になる。


老人はちょっとした事で皮膚が乾燥したり、打ち身で内出血を作りやすい。

自覚症状がないことが多いために全身を観察し、時には触診もしたりする。



あとは、転倒防止マットや入浴用の椅子

加齢臭対策用のボディーソープ

毛穴を綺麗に保つために重炭酸タブレット

湯上がり用の保湿剤



だいたいこんな感じで用意してお風呂に入れるのですが、

目を少しでも離すと浴室内のリモコンをいじってとんでもない温度にするので大変です。



痰を吐かれたり、物体のカスが流れてくるのは日常茶飯事。

彼らに羞恥心など1つもないので、こちらが無心で目の前の事に取り組むだけ。



自宅で住み続けるためには最低限の動作は維持できなきゃいけない。

だから出来ることはなるべく自分でやってもらいたいのに何もしません。



デイサービスで入れてもらって当たり前になってるのかな?

いろいろ考えてしまいますが、今日はこれだけやってみよっか?と促し続ける僕。



ですが、相方がいない時の1人での介助は2人に恥辱の限りを尽くされます。


湯上がりの際、母親に体を拭いてとバスタオルを渡すとお前が拭けと足を投げ出してきたり。

何でもしてもらえるその環境にのぼせ上がった彼女は僕を罵りながら卑しく笑いかけこう言う。



「ぐずぐずすんな早くしろ」



胸をさらけ出した老婆。

見たくもない股間を広げられると、僕はずっと封印してきたトラウマに苛まれ始める。



小さいころの記憶なんてどうせないだろう?

そう思う親は多いのではないか?



3歳くらいの頃、僕の両親はまだ仲が良かったと思う。

でも子供にとって、母親の「女の部分」を見せつけられるのは辛いものだ。



父親とコトをいたすために、いわゆるラブホに行った日があった。

子供に行為を見せないだけマシだけど、両親は僕を駐車場にいる守衛のおっさんに預けた。



記憶では2人いたと思う。



お前、親たちがこの中でどんなことしてるか知ってるか?

さんざん気持ち悪いことを言われて最後は避妊具まで見せられた記憶がある。



そのあとしばらくして、痴女とかショタコンの類いだったのだろう。

1ブロック離れたところに住むおばさんにズボンをさげられいたずらされるようになった。

僕の家を知ってるために執拗に近寄ってくるから恐怖でしかなかった。

※気持ち悪いと思ったらブログ閉じてね、ごめんなさい。



自分で言うのもなんだが僕はえらい可愛かった。

写真館のおじさんが素敵な写真を撮ってくれたりするくらいには。

だからああいう閉鎖的な田舎ではターゲットになりやすかったのだと思う。



そこから女性が本当に気持ち悪くてたまらなくなった。

母親だって心から好きだったのか今となっては分からない。

でも取り繕った関係だったのは確かだ。


出来上がったのは何者でもない人間。

人形みたい、自分でもそう思う。


入浴介助がきっかけで、思い出したくなかったことが黒い憎悪となって染み出てくる。

生まれながらに備わっているアイデンティティは大人たちの操作で見えなくなった。


今の自分は、いろんな人に出会って、いろんな人に助けてもらって作られた。

僕は決していい人間ではないけど、相方や元相方には良くしてもらい幸せにしてもらった。


この歳になって、自分の心の闇と向き合うことになるなんて思ってもみなかった。

でももう昇華するべきだし、心を軽くしていくべきだと思う。


ほんの時々、ブログでは弱いところを吐き出すけど現実には誰にも言えない。

相方がやっと自分の事を話してくれて、相方なりに毒親から解放されようとしている。

だけど僕のこういう話はただの重荷だから話すつもりはない。

僕のそばにいるのが相方だったことは、とても幸運なことだったと思うのです。


最初の頃、風呂上がりの母親を着替えさせたあと、僕はトイレで吐いていました。

手が震えて動悸が激しくなって、目が回っていた日常も乗り越えて今は平気になった。


生きている以上、これからも自分に向き合う局面は必ずある。

だけど、心置きなく残っている時間を使いたいからもう怖がらないでいよう。


素直にそう思えた。

介護は自分を映し出す鏡なのかもしれない。



それじゃまた。



















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