皆さんこんばんは。
昨日は両親の通院日。
ほんとは納期間近の仕事があるのでヤバいのですが仕方ありません。
今回は、眼科と皮膚科、そして耳鼻科でした。
まず、午前8時から配布される番号標を取りに行く。
あまりの人気に予約システムがないため、主治医のいる日に合わせて病院へ行きます。
それから一度、自宅に戻って両親に朝食を取らせ、体温や血圧を測って、服薬を済ませる。
もうここですでに2時間が経過、そのあとはトイレに誘導するが早くて30分は出てこない。
さあ、やっと出かけるぞ!と思ったところで「朝ご飯食べてないんだけど」攻撃が始まる。
あまりに罵るのでしょうがなくまた温かいお茶やヨーグルト、どら焼きなどを出すのだ。
終わるとまたトイレ。そしてどれだけ声がけしようが出てこない。
もう半ば呆れているのだが、やっと車に乗ったのが約5時間後だった(汗。
これじゃあ、番号標のために3カ所の病院を巡って順番待ちしている僕が馬鹿みたいだ。
最初の病院での診察が午後1時になってしまった。
途中、トイレ休息を兼ねた軽い昼食を食べさせて、全ての病院が終わったのが夕方7時。
文字通り1日がかりになってしまった、、、はあ。
遅くなってしまったから外食にするかと思ったら、車の中で盛大にお漏らし。
父親は食事時とか車の中とか、人がいる前でわざとおならをするのだが、
いつものように車の中で爆音が響いてきて、ああまたか、、やだなーと思っていたら
なんとも言えない異臭で阿鼻叫喚の事態になり、僕がハンドルを握れなくなってしまった。
本人は悪いと思ってなくてニヤついていたので、急遽、近くのガソリンスタンドに入り、
給油しながら、全部のドアを全開にするとさすがに顔色がサッと変化するのが分かった。
もちろん、老人なんだからコントロール出来る事も、出来ない事もあるのは分かっている。
でもこういうのは大抵嫌がらせなんだよな、、、
きっと本人は、おならでも、大便でもどっちでもいいんだろう。
ただ、このパターンは僕が大変な目に合えばいいと思ってる節があるんだよな。
見た目には平常心でいないと、成功したと思わせてしまうからここでリセットしたい。
だからこんな時、僕は自分を落ち着けるために深呼吸をよくするんだ。
これでまだ薬局に処方箋持っていけてないんだから、頭がおかしくなりそうだけどね。
帰宅後はお風呂に入れて綺麗にしてあげるのだが、もう1人がご飯連呼で発狂しはじめた。
流し終えたら湯船に浸からせている間に、母親のほうへお茶とクッキーを出してあげる。
その合間に汚したズボンを手で予洗いして、60℃除菌コースで洗濯機に放り込む。
風呂から上がったら体を拭き上げてあげて、保湿ローションを塗ってあげて服を着せる。
あとはリビングに連れていき、夕食を作るのだがこういう時は作り置きが大活躍するんだ。
ほんと、時間が無いときは助かるよね。
食べさせたあとは服薬をさせて、しばらく好きにしててもらう。
僕は駐車場に行き、魔界と化した車内の清掃に取りかかろうとしたらここで相方が帰宅。
1日の経緯を話したあと、深いため息をつき「俺がやるからいいよ」と言うので任せた。
こういうこともあろうかと、防水カバーをしてあったんで被害が最小限だったのが救いだ。
ぼくは自分の家に一度帰宅して、ふたりの食事を作り始める。
両親が寝たあとに、相方と僕はやっと夕食にありつけることになった。
これが夜11時過ぎ。
朝からこんな調子で疲れたなー。
毎回、こんな親でごめんと言う相方にこの日は応える元気もなかった。
そうそ、コロナワクチン接種券が来ました。
予診票の現病歴の項目にいくつかにチェックを入れたのですが、
「免疫不全」については接種会場であまり深くは聞かれないのかなあ?
拠点病院で受けるのではなく、住んでいるところで受けるのでそこが心配だったり。
居住地の障害課で、職員にHIVについての書類を複数で回し読みされたのがトラウマで(汗。
遠巻きにされてギョッとした顔でこちらを見ていたのを今でも覚えている。
だから住んでいるところで、バレたくはないよなーと思うんだけどね。
んー、なるようにしかならないか、、、
そういえばコロナワクチン陰謀説ってちょっと面白い。
だってインプランタブルデバイス化によって5Gがバンバン受けられるとかいいでしょ。
なかなか便利な機能を備えてるやんとか思ってしまったよ(笑。
副作用ないといいなー。
一応、用心というか僕と相方の接種日は別々にすることにしました。
もしもの時、お互いぶっ倒れてしまうと助けられないしね。
介護をするようになって、ひとりの時間が持てるのは月に1日、数時間くらい。
それでも毎日、意識して勉強の時間を必ず作ってて、これが形になるといいなあ。
僕は雨の匂いが好きだ。
雨打際の薄煙を眺めていると、とたんに記憶の谷間へ吸い込まれていく。
それは自分に問いかける時間。
砂時計のように流れていく雨が、心の弱さやその恐れも拭ってくれるようだ。
人の影に倣うのではなく、僕の心に素直に生きようとまた思わせてくれる。
そんな雨が心地いい。
それじゃまた。