病院へ行こう。

2021/03/11

HIV・AIDS

t f B! P L

 皆さんこんばんは。



今日は通院日。

感染症内科で診察。

今回は、血液検査と尿検査。

他の科でMRI検査と腹部エコーでした。



ずべて経過観察なので、毎月順を追っていろんな検査ばかり。

多くの薬を服薬している事もあって、いまの身体機能に対して

いろんなアプローチを考えてくれるので、有り難いことだと思います。



朝から病院に入っても、大体は夕方近くになるのでお昼は院内になることが多い。

カフェとか花屋さん、それとレストランなどが入っているわりと大きな病院ですが、

普段、介護でひとりの時間をなかなか作れないのでこういう時間はほっとします。



食後のコーヒーを飲んでいると、ここに最初に来たころの事を思い出したりして。

僕は発症こそしていませんでしたが、日和見感染が酷くて当時は大騒ぎになりました。

即座に入院、いろんな科の先生がたくさん押し寄せてさしずめ客寄せパンダみたいでした。



翌日から研修医の先生もたくさん来て、あけすけにいろいろ質問されていたっけ(汗。

とにかく恥ずかしいのと、見世物みたいなのが嫌で早く帰りたかった記憶しかないです。



あれからもう10年以上。

遺伝子は壊れ続けても、少しだけ図太くなった環境に適応できてる僕がここにいる。



不思議なものです。



この世では、生きているうえでどうにもならない事があります。

自分でコントロールできない事象には、もう感受性を低くして過ごすしかありません。



苦しみを断ち切ることも、不安を取り除くこともできないのならば、

自分の考え方を変えて、目に見えないものに振り回されないようにしたい。



わんこのために般若心経を唱えるようになってから、

今という瞬間を生きたら、わんこに会いにいくんだという目的ができた。



ほんとは今すぐにでも会いたい。

だけど、生き方を人に解いてもらっても自分で解いたことにはならない。

自分でこの世との糸を絶ったとしても、きっと自分が生きた証は残せない。



なにより、この先いつかは相方を1人残すことになるかもしれない。

たしかに僕はいたんだと、相方の胸にそう思える何かをだからこそ残してあげたい。



そう思うのです。



人はたぶん、長く生きるほど答えのない問題がずっと多くなる。

だからこそ心を柔らかくもって、明日が来るのを楽しみにしよう。



昨日はもう戻らないのだから。



自宅の庭の木蓮が、もうすぐキレイに満開になりそうです。

梢にあらわれた淡緑色が朧に揺れたら、鳴りを鎮めていた命の焔が目覚め始めるんだ。

ただ漠然とあるうつろいやすい世界は、やがて溢れる想いを溶かしてくれる。

たけなわな春はもうすぐだ。



それじゃまた。







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