ダイバーシティ。

2021/03/04

ある視点。 ゲイの生活。 介護生活

t f B! P L

 皆さんこんばんは。



ここのところ相方は会社の決算で、僕はフリーランスの青色申告でバタバタ。

来月以降も、車検やら固定資産税やらでなんだかお金ばかり出ていきます。

こういう時期は、仕事するモチベーションが下がりますね、はあ(涙。


あとは、両親のほうの確定申告もしなきゃいけないんで頭が痛いです。

一定額以上の公的年金や医療費などがあれば、年寄りになっても申告不要にならないのだ。


後期高齢者医療制度は原則1割負担なのですが、前年の所得の合計が2人で520万を超えると

現役の人達と同等の収入があるとして、住民税が決定された後に3割負担になるのです。

これは介護保険の自己負担額まで変わるので、介護度が重くなるほどダメージになります。


申告するうえで控除ばかりに目がいきがちだけど、医療費とのバランスが難しい。

また、株とかがあるとさらに厄介になるので要注意なのです、、、、、


毎年思うのですが、こういう複雑な処理って普通にお年寄りが出来るのでしょうか?

代筆についてはOKだけど、現行の制度は高齢者にはハードルが高いような気がします。


老後のライフプランというか、相方の両親のように子供に全振りするつもりなら、

漠然とした「何とかなるさ」より、具体的な将来のイメージを教えて欲しいものです。


まあ、ある程度はこちらが両親をハンドリングしてあげないとね。

たぶん。面倒事はすべて息子が背負うだろうと高をくくっているはずなので(汗。

両親の事はいろいろあるけど、僕は2人のことを反面教師として見ている部分もある。


......最近、いい年になってきた相方とよく話すことがある。


それは、養子縁組やパートナーシップ制度について。


パートナーシップ制度は、2015年の渋谷区と世田谷区を皮切りに、

文京区、中野区、豊島区、江戸川区、府中市、国分寺、小金井市が続いています。


国や自治体が認めた制度であるというのは大きいのですが、どちらを選択しても

婚姻関係のような法的な拘束力はないので、相続については問題が生じやすい。


しかし「個人情報の取り扱い」の観点から、あらかじめ本人が意思表示をすることで、

病状説明をパートナーが聞くことができるのは、持病持ちとしてはありがたいですね。


でも昨年、足立区議が同性愛者が法律で守られると区が滅ぶと発言した事を知って、

この国で、法の下の平等という規定が意味を持たないという現実を直視させられた。


かの白石議員は後日、謝罪のコメントを出した。

そこでもパートナーシップ制度は必要ではないし、

一般的でない生き方を特別に擁護しなくていいと言い切っている。


LGBTを認めないということではないと言い、

その後でLとGは、楽しいからと選んでいると加えてくる辺りは

ウザいから謝ったけど、俺は認めないぞーというのがありあり。


結婚して子供を産み育てることが、いかに人間にとって大切か。

ここに論点を置く議員にとれば、子を持てない人間はなんの権利もないという認識。


そう思います。


でもこれが世間の声。たぶんこの国の大多数の声。

だから「同性婚」という制度が、日本で合法化だなんて夢のまた夢です。


これを認めたら、動物や小児性愛者との婚姻関係も認めろと言い出す輩がいると

あまりにも馬鹿げたことを想定する人達によって、同性婚が同列に語られる事実。


同性愛なんて気持ち悪い。所詮はただの趣味嗜好。日陰者でいるべきだ。

そんな悪循環のイメージが破壊されないと、難しいのかもしれないと思います。


多くの人が得体の知れない異質なものに怯えて、

自分の生活を脅かすものとして、排除する対象へとカテゴライズしていきます。

自らの体験と一致しない世界に恐怖を感じることは、ある意味自然な防衛反応です。


いつ崩れるか分からない、危うい緊張関係は未成熟な世界とも言える。

それは、互いにその領域に踏み入らないことで成り立つ脆い社会のありかた。

私たちの存在は、こうでなければならないというルールに無意識のうちに縛られています。


たしかに、日本の婚姻制度は「子を産み育てる」が前提なのかもしれません。

子育てをするうえで、配偶者への控除が認められているのも分かるのです。

社会的に子孫繁栄が最低条件だとすれば、それが出来ない人間は生産性がないとされる。


その反面、今の日本では未婚を選択する人も、事情があって他の選択をする人もいる。

同性婚と子どもの出生率には相関関係はないのだが、その辺も勘違いされていたりして。


残念なことに、ダイバーシティは同性愛だけのモノだと思っている人が多いが、

性別や人種、障碍などに関係なく、さまざまな属性の人々との共存共栄を目指すことで

国の発展に繋げていきましょうよって、そのような意味合いのものだったはず。


政治家の人がそれを語るのは耳障りがいいだけで、結局は同性愛についてよく知らない。

国民にも伝わらないのなら、制度を設けることに批判が出てくるのは当たり前なのかも。


その辺においては、同性婚に無関係な人は聞くことに受け身でしかない。


私たちは、他者と比較して他と同じであるべきだという「べき」論を語ることがあります。

そんな時、社会から無価値だとはっきり烙印を押されてしまうことだってあります。


感情と視覚から導き出される脳内の情報は、悪いステレオタイプを信じ込みやすい。

例えば、銭湯でゲイが迷惑行為をして逮捕されたニュースなど、一部の行為に対して

きっとみんなそういう事をしている奴らだと受け取られやすい。


そこで、その人の問題だという意識がすっぽ抜けてしまうのは、

長い間に刷り込まれてきたLGBTへのネガティブなイメージなんだろうと思う。

本来、生理的に無理だという気持ちは自分の心に繋がりがあることが多いという。


また、最近言われている「夫婦別姓」の問題も、

自分達には関係ないからという理由で反対している人を見かけるけど

誰もが幸せに生きていける社会のほうが国のためになるような気がします。


皆、やみくもに不安を抱えて生きるより、明るい明日を約束されたいだけ。


今のところ、法律上の親子になるしか現状の解決策がないのは少し悲しい。

好きな人と夫婦でなく親子にしかなれない、そこに矛盾を感じてもらえない歯がゆさ。


恐れずに言うならば、権利を声高に叫んだり被害者意識によって

社会的立場を獲得するのは、少し違うのかもしれないなあとも思うことがある。


不妊の人を馬鹿にする人、障碍者を馬鹿にする人、お年寄りを馬鹿にする人、

未婚の人を馬鹿にする人、晩婚の人を馬鹿にする人、親がいない人を馬鹿にする人、

肌の色の違いを馬鹿にする人、田舎を馬鹿にする人、都会を馬鹿にする人、

母子家庭を馬鹿にする人、父子家庭を馬鹿にする人、容姿を馬鹿にする人、


世の中、自分に不利益が生じると思って報復を正当化する人がいる。

その裏で、いろんな人が馬鹿にされたり、傷つけられたり、苦しんでいる。

構造的侮蔑は、なんの悪気も無く他者の幸せを奪っていく。



理解してくれなんておこがましいことは言わない。

ただ、誰かの権利を侵害しないような枠組みが出来たら利用したい。

誰しもみんな、自分にふさわしい幸せを手にしたいだけ、ただそれだけのこと。


1人の人間として人間の本心に触れるとき、同性愛を理解できなくとも

パートナーに安心を与えたいのはみな同じだと思ってもらえたら嬉しいかな。


ただそれだけなのです。

死を身近に感じてしまうと、彼が困らないようにしておきたい。


前は形に拘らなくてもと思ってたけど、先に消えていく可能性があるならば、

僕がいちばんに考えておきたいのは、彼の幸せのことだけなんだ。


気分を害する人がいたらごめんなさい。




梅の花が咲き始めましたね。

毎年、梅や桜が咲き始めるとわんこ達が会いにきてくれる。

目を閉じれば、咲きこぼれる馥郁の香りとともに彼らの駆け寄る姿が見えてくる。


淡い春のたたずまいも、柔らかな命の息づかいも、

わんこ達と繰り返したかった戻らぬ日々を鮮明に蘇らせてくれるんだ。



おやすみなさい。


















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