皆さんこんばんは。
2025年。
800万人いる団塊の世代が75歳以上となり、人口の2割が後期高齢者になる計算です。
生産年令人口は減り続け、3人に1人が65歳以上という高齢化社会を迎えると言われている。
昨年の総人口は29万人の減少に転じ、10年連続のマイナスになりました。
生き方や働き方が老人中心になれば、さまざまな保障が破綻してしまう懸念があるのです。
今900万人程度はいると言われる認知症が、国民の10人に2人になる厳しい時代。
少子高齢化は、日本の行く末に大きな影を落とす時限爆弾になりかねないと思います。
働き手がいなくなれば、自動的に介護する人もいなくなるのです。
面倒を見てもらえなければ、適切な医療へのアプローチも叶わなくなってしまう。
人生の終わりを見据える終活は、家族やサポートする機関があってこそ。
日本は豊かな国なはずと思ってたけど、人的資源を増やせないとこれ以上の成長はない。
そんな気がします。
死の迎え方はいまはさまざまな形があると思うのです。
生きているうちからそれを意識する、昔はタブーだとされていたことだ。
相方の両親は自宅で最期を迎えたいと言う。
世の中の高齢者の過半数がそうらしいが、実はいろいろと問題点は多い。
我が国では病院で最期を迎える人の率が多い。
海外では自宅が圧倒的なのだが、それは日本の司法システムの違いにあります。
自宅で亡くなってからでは救急車に乗車すらできません。
なので、事件性がないか死因を特定するためにまず所轄の警察がやってきます。
この部分が僕も相方もどうしても苦手なのです(汗。
必死に介護したのに、現場検証されるというのは心が折れそうで、、、
暴言や暴力に耐えてこれじゃあ、多分二度と立ち直れなくなる気がします。
相方といろいろ話し合った結果。
訪問看護や訪問診療に頼り、通常の通院もこなしながら医師との連携を図っていく。
なるべく最期は病院になるようにと希望も伝え、それまでは自宅介護を続けていく事。
それらを2人で決めました。
一番の問題は、両親は自分たちのことなのに無関心だということです。
亡くなると口座は凍結されるんだよ?葬儀はどう考えてるの?と聞いてもどこ吹く風で。
どんな話をしてもそ知らぬふりなので、そこはもう諦めています。
ただ、あまりに何も考えてくれないので、何かあった時がマジで怖いです。
つい数分前の世界に生きている両親。
楽しいことには貪欲だから活発になる。
そして怒りが満ちれば何時間でも罵声を浴びせてくる。
いや、片方は痴呆症じゃないんだけどな、、、、そう思いながら毎日を受け流す。
一喜一憂してたら心が壊れていく一方だから、無の境地になる努力を続けていくだけ。
人生は修行の連続だ。
人らしくいるために、自分を追い込まないようにしていこう。
そう思った。
僕に残っている時間はあとどれくらいなのか。
相方との時間を大切に使いたいから僕はいつも自問自答する。
今夜も記憶の電車に乗って僕は出かけるんだ。
わんこと僕、そして相方、いつまでもずっと一緒にいられるように。
それじゃまた。