皆さんこんばんは。
緊急事態宣言が、来月3月7日まで延長になりましたね。
期間の妥当性はともあれ、感染が再拡大しないためにはまだだろうし
なんとなくそうなるんだろうなーと思っていました。
早く重症者数の減少に繋がって、患者に優先順位がつけられる今の医療システムが
少しでも改善していけば、宿泊療養のできない自宅待機者の状況も変化する気がします。
うちも両親も、新型コロナウイルス感染症のガイドラインに従って、
熱と血中酸素濃度を測って(ついでに血圧も)大丈夫だと証明しないと、
ヘルパーさんの介助を受けたりデイサービスに行けないようになっているので
ものすごく聞き分けの悪い両親の計測に一苦労しています。
さて、今日は両親の訪問診療の日でした。
医者と看護師の方2名が来てくださるのですが、
同一人物なのかを疑いたくなるくらい両親の態度が一変するのです。
母のほうは徹底した役作りでそれはもう見事なものです。
直前まで腕組しながら大声で怒鳴ってたというのに、医師の問診がはじまると
急にうつむき加減になり声のトーンを変え、か細い声で話し始めるのです。
紋切り型の演技なんてしないので嘘っぽく見えず、なんなら「こんな私なんかのために
いろいろしてもらって申し訳ない」と涙ぐんで見せたりすらします(笑。
帰った途端、あいつら何しにきたんだ?もう来ないで欲しいわー、
私は健康なんだうっとおしい!と即座に地に戻るんですけどね、、、、
上っ面だけいいから知らない人は騙される、これは若かりしころからの事らしいので
三つ子の魂百までじゃないけど人の性質はそうそう変わらないんだなって思います。
薬が処方されているんだから健康じゃないんだけど、
毎日の服薬にもクドクド文句しか言わないからなーと僕はもう苦笑いするしかありません。
父は父で俺は1人で何でもできる!といつもの100倍動いてみせます。
そのおかげで介護認定が症状より低く、こちらも見ててゲンナリします(汗。
介護をしている方は、老親の演技力の凄さに吃驚した経験あるんじゃないのかなー。
実際の状況は普段の映像を見てもらったり、音声を聞いてもらったりしてるので、
医師のほうもだいたいは正確に把握してくださっているのでほんと助かっています。
診察が終わったので、出してくれた処方箋を持って薬局へ両親と行くのですが
寒いから車で待っててねと言って薬局に入ると「待たせるんじゃねーよ!!
早く来いっての!!」って声が聞こえるんで振り返るとやはり両親が騒いでいて。
まだ1分も経ってないのにと思いながら僕は事務員の方に謝りっぱなし。
逆にいつも大変ねーと言われたり、待合室にいる患者さん達にも心配されたり、
人の温かさに心がほぐれていく感じがしてちょっとだけ救われます。
車に戻ると人間を超越したモンスターに罵られるんですが、
両親が人様にご迷惑をおかけするようなとき、僕は彼らに対して
やってはいけないことをしてるんだと、それだけは毅然と注意します。
僕も相方も特に介護費用はもらっていません。
毎月の両親の費用はトータルで平均30万円ほどかかるのですが
それに自分たちの月の生活費もかかるのでいろいろと大変です。
当人達が現役時代の生活を続けることでストレスが減るのではと思うので
社会インフラを活用しながら自分たちにあった介護の方法を見つけていくしかありません。
時間は永遠じゃない。
今の生活の優先順位は介護だけどそのうち看取る日が来る。
だけどそれで終わりではない。
その次は人生の節目というか、ライフプランを立て直し老後資金を考えないといけない。
死ぬのが分かってるなら、相方へどれだけ多くのお金を残せるかシミュレーションして
自分がこの先進む道を決めておかないといけません。
昨今、「終活」とか「エンディングノート」という言葉が一般的になりましたが、
相方の両親は息子に苦労をかけないようにという考えは一切ないので、
葬儀はどうしたいとか、お墓をどうしたいとか、生前整理でこれは継いでほしいとか、
親が60代くらいの時から相方は話していたそうですが、何一つ着手はしてくれません。
子供の立場からすれば、あまり強くは言えないことなので難しいですね。
僕はまだ若いし、相方よりも15歳年下なのですがもうエンディングノートは書いています。
ライフポイントが残っているうちに自分の幕引きはちゃんと考えたいし、
もし相方ひとりが残されてしまったらと思うとそれだけが気にかかることだからです、、、
わんこも居なくなってもう自分には執着がなくなってしまった。
消えゆく残り香がまぼろしだったらどんなにいいだろう、そう思った。
今は相方がいる。彼は僕がそばにいて良かったと思ってくれてるだろうか?
巡る智慧が授ける大切なものはやがて広大な渦になり、そして希望となる。
擦り抜けていく悲しみは過去の情報になって、そして優しい思い出になっていく。