2つのありがとう

2021/01/31

ゲイの生活。 パートナー

t f B! P L

 皆さんこんばんは。


30日、東京都の新型コロナウイルス新規感染者が769人だと発表されましたね。

昨年、積極的疫学調査において濃厚接触者の追跡が原則なし(あっても家族だけ)に

なったのは記憶にあたらしいのではないかと思います。


重症死亡者数が増加しているのを見れば、PCR検査が形骸化しつつあるように感じます。

接触歴などの不明者を追う術がないとすれば、もはや市中感染の実態は分からないので

この先爆発的な蔓延に繋がるんじゃ?と少し心配になります、、、


「見えない部分」の本質はやっかいなもので、見た目の数字に安心することもあるので

これからも気を抜かないようにしないとなーと、自分の感染対策を見直そうと思いました。


そうそ、今日は嬉しいことが2つありました。


1つは相方がオムライスを作ってくれたこと。

少々不格好でしたが初めてにしては上出来でした(笑。

料理をまったく作らない人なので、必要以上に驚いたらむくれてました。

ウマいよーと言いながら完食したら、なんだか照れていたのが新鮮でしたね。

これからも、たまにでいいから作って欲しいなー。


そして、もう1つの嬉しかったこと。


以前、メールのやりとりをしていた方から数年ぶりにメールをいただいたことです。

ブログを読んでくれてた子で、当時女子高生だった彼女もいまや立派な社会人。

コロナの影響でおうち時間が増えたことで僕に連絡してくれたらしい。

とても充実しているそうで、近況を聞けて自分のことのように嬉しくなりました。


当時はブログの感想というか、彼女からの応援メッセージが多かったのですが、

HIVのことを書いているので「気持ち悪くないの?」と聞きかえしたことがありました。

そんなことないと言ってもらえて、受け入れられたことに安堵したことを覚えています。


そのころはいろんな話をしました。

自分の街の話や好きなスイーツの話など、とりとめのない世間話を。

あとは学校で同級生とうまくいってない話を。


.....当時の彼女はイジメの被害に苦しんでいました。


学校やSNSで顔色を伺い、繋がりを確認する生活はある意味無法地帯なのかもしれません。

共有の嫌われ者を作り出す空気ができてしまえば、それはその中での正義になったりして。


大人数に追い込まれると、人は麻痺してその濁流にのまれてしまう。

人は見たいように人を見るし、膨れ上がった悪意にはなかなか1人で抗えない。


多感な時期に否定されることは、それは死を意味するほどのことだと思うのです。


ひとりぼっちになりたくないから溶け込もうと努力する。

けれど媚びを売ってもいたぶるオモチャというスタンスはそうそう変わらない。


その場所にしがみつかないのも選択肢だけど、いっぱいいっぱいの人間に

逃げるという回避行動はとてもじゃないけどできないよなーと、当時は思いました。


だからこのメールを両親に見せてと僕は根気よく言い続けた。

彼女のメールは彼女が声にしたいことがたくさん書かれていたから。


それから半月ほど経って、ようやく両親へ言い出せたことを知ってほっとしました。


人生の上でイジメは暗い影を落とし一生消えないシミのようになります。


なかなか自信が持てなかったけど、大人になってやっと自信が持てた。

彼女は今回のメールでそう話していました。


本当によかった。

心のどこかでずっと気になってたので本当によかった。


言葉は使い方次第で人に痛みを与えたり、

時々、自分がどこに立っているのか迷わせたりもすることもあります。


でも救いにもなったり、力にもなったり、それから何かの道が開けたり。


僕も当時、年下の彼女にいろいろ教えられました。

こんな自分でも他の人と変わらず見てくれる人もいたんだと知ることができました。

あまりにも世界が狭くなってた僕にとって、大切な時間だったと思います。


人はみんなひとりです。

でも生きてる間に、いたわり合って友達になったり夫婦になったりしていく。

自分にとって大切な縁ができて、それを紡いでいきながら心を通わせたいと願う。


だから自分の足で立つことが相手を支えることになるんだ、そう思います。


出会いも別れも、気まぐれが織りなすのがこの世の泡沫なのです。


新しい地で、元相方さんとパートナーさんが幸せでいてくれることを、

長らくメールでやりとりした悠之介が楽しくやってくれてることを祈ってるよ。

それと、ブログを介してメッセージやメールを送ってくれた人達が元気でいますように。


久しぶりに自分の奥底にあったいろいろを思い出してるんだ。

僕ももう何も湧き上がらないただのおっさんです、、、


ただ、いつどのように死んでも大丈夫なように、

自分が知り合った人達に恥ずかしくないような生き方をしたい。



ああ、気づいたらもう朝ですね。

両親がようやくトイレに起きなくなったので、しばらくゆっくりします。


それじゃまた。












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