11月某日。
うら寂しい晩秋にふと見せる四季の煌めきは命のたしかな鼓動を感じさせてくれる。
しっとりとした仏閣の古色蒼然とした佇まいはことのほか美しく
秋の雨が通り過ぎるまでしばし眺めていた。
瞬く間に暮れゆく秋の空、静寂の宵闇が一面に淀むころボクは大きく深呼吸をした。
いまここに生きている。それでもボクは生きている。
新しいセーターに袖を通して、冬の匂いにボクは胸を鳴らしていた。
・・・誰にも頼れない、甘えられないと思い始めたのは、いつのころからだったんだろう?
あの頃の自分は目に見える評価にばかり拘って、自分の本質とは遠い世界にいた気がしている。
「俺はそんなに頼りないかな?」
今までパートナーだった人に僕が必ず言われた言葉だった。
しかし、いざ頼ろうとしてもしたことがないからそう言われても途方に暮れるばかりだった。
この胸の中にはすべての感情がつまっているのに
まるで物言わぬ人形と同じだと自分でも思ったことがあった。
・・・今まで通りひとりで解決すればいい。
弱みを見せれば裏切られる、ほんの一年前までは人の事をそんな風に思っていた。
言葉ひとつで傷つけられ、言葉ひとつで救われる。
死への受容はボクに多くの事を教えてくれたように思う。
自分を助けてくれる仲間たちが居て、
心の隙間を埋めてくれる元パートナーとかたわらにはいつもわんこ達がいて。
その存在はボクをこの世に踏みとどまらせてくれたばかりか折れかけた心まで癒してくれた。
はじめてひとりじゃない事を実感できたことに安堵した。
現代医療において、対症療法などの症状を緩和する治療がなされる中で、
人間が本来持っている治癒力は自分にとって最大の味方であると言えます。
鼻っから闘うことを捨てていると、抗がん剤も神経障害や体力低下や
他の癌に罹るデメリットばかりが目につき不安で圧し潰されそうになります。
そういう意味では病は気からという言葉はその通りなのかもしれません。
ボク自身、いろんな葛藤があって、自分なりの生きる理由に辿り着きました。
もういいやと思った時期もあったのは事実で、
死に方ばかりを考えていた日々を鬱々と過ごし今のボクがあります。
自分を認め他人の評価を気にしない、簡単なようで難しいことだと思う。
依然として公言できない病気という事実、ゲイであるということの葛藤、、、、、
それらが複雑に絡み合ったとき自分に価値などないんじゃないかという
刷り込みを気が付いたら自分自身でしていたような気がします。
自分の喜びのために生きることを忘れて人に許しを請う生き方を重要視するようになると、
他人の顔色ばかりを窺いはじめて自分への評価がことさら怖くなるものです。
エイズ患者は社会弱者とは見られても基本的に同情はされないし、
それ以上に犯罪者並に罵り蔑む人たちの洗礼も少なからず受けたりもします。
いいエイズ、悪いエイズなんて偏見から逃れられることは生涯ないのだから、
他人からどう見られるかということばかりに捉われる時期が長く続くのはよくないと思う。
だからこそ自分を見失ってはならない。
病気によって人間関係が変化していくことは致し方ないけれど
理解される生き方をしていればいつしか身近に理解者も現れるものだ。
それは孤独が怖い、ひとりで病気と闘わないといけなかった自分にとって、
人生観を変えるほどの喜びとなって自分の心や体にもいい影響を与えてくれてたりして。
ブログにコメントを寄せてくれる顔も知らない方々の言葉にもとても勇気づけられたり
もして
ひとりの時は何度も読んで自分にまだ大丈夫!って言い聞かせてました。
寛解を強く意識しながら今続けている治療を信頼すること、
玉石混交の中で自分に必要な物を掴み取ること、
心穏やかに生きる努力をすることがこの先の未来を描いていくのだから。
人生を豊かにするのに病気だからとか、病気じゃないからとかは関係ない。
自分の意志と目的を明確に自分が輝けば、
やがてはボク自身も誰かを支えて輝かせられるんじゃないのだろうか。
そんなボクの近況ですが、自分の家から数分圏内に
元パートナーだった人が実家ごと引っ越してきました。
ああ、土地が売りに出てたけどすぐ売れたんだなーと思ってたら
いざ家が建ってみると彼の家だった。
彼の家と、彼の実家の家をまだ売りに出してるなかの家の取得なので悩んだらしいが
目の前に越してくるのは今しかないと思ったらしい。
もう家もこんな近くなんだから逃げれないぞ?イエスと言えこんにゃろ!!!
先週、約20年ぶりに強引なプロポーズをされました。
あまりにぶっ飛んでて思わずお腹をかかえて笑ってしまった。
久しぶりに心から笑えた気がするけど彼の気持ちが心の底から嬉しかった。
今の関係を壊したくなくてのらりくらりとかわしていた自分を見かねて、
こんな強硬手段を取ったいきさつを彼なりに話してくれた。
このままだと目の前から居なくなるんじゃないかとこんな暴挙に出たようで、
思いっきり心の中を見透かされてたことにボク自身少し恥ずかしくなった。
そのままの穏やかでいられる距離がいいのに友達にもなれないとなると
遠くへ行かないとなーと内心どこかでそう思ってたから。
いわゆる探偵まで頼んでいたそうで、ボクが終活的なことまでしてるのを
全部知ってて唖然としたけどその日の彼は一晩中ボクの手を握ってそばにいてくれた。。。
そして思い通りの死に方をするために計画的にあれこれやってることをしこたま怒られた。
これからは自分にだけはなんでもオープンにしてほしい、
泣きたいときは我慢しないで泣けと言われてはじめて素直に彼の前で泣いた。
今のボクは彼の重荷にならないだろうか?とは考えなくもなかったけど、、
このことがあってから少しボクの気持ちに変化の兆しが訪れている。
ほんとは四月に昨年9月に別れた元相方から久しぶりにメールがあってずっと落ち込んでいた。
でも約半年後の彼からの二度目のメールで自分の中でも踏ん切りがついたように思います。
きっとそれは、生存確認がしたいだけのメールだとなんとなく分かったからかもしれない。
あとは知人が彼の近況を知らせてくれたのも大きい。
だいぶふっくらして幸せオーラでキラキラしてたそうでそれを聞いてホッとしたせいもある。
相方は毎日いろんな話をしてくれる、仕事の事、親の事、友人の事、
ネットで見た面白い動画の事、
ラガーマンなせいか五郎丸フィーバーから
ラグビーの話ばっかりなのはうんざりだけどこの賑やかさはもうボクの一部だ。
ひとりのときはわんこと会話してたからすごく新鮮なのだ。
思うようにちゃんと身の回りのことが出来ないので今はまだ世話をしてくれる人がいるけれど、
わんこのお散歩だけはようやく自分で出来るようになった。
ペットシッターさんに毎日連れられていくわんこ達を寂しく見送る
自分が情けなくてしょうがなかったんで毎日出来ることが増えていくのが楽しい。
髪もだいぶ生えたし、見た目は復活どころか周りも驚くほど若返っていて
自分でも首をひねるばかり。
ただ変わった一番の理由といえば食生活と睡眠時間かもしれない。
仕事をしてたころはベッドで寝る生活からはかけ離れたサイクルで仕事に追われていて
睡眠薬も効かないほどだったが
会社を辞めてストレスから解放されたせいかここ半年くらいは
10数年ぶりに5時間以上寝れるようになってすこぶる調子がよくなった。
食事も毎日スムージーと温野菜を採ることを続けているせいか
30代後半でうっすら出始めたほうれい線まで消えてしまった。
自分でも気が付くほど体質が変わったようで
例年重篤化してた花粉症というものから解放されてたりもするから驚きなのだ。
元相方と一緒だったころはストレスでルックス的にも自分を元々知ってる人からは
一体どうした?と心配されてたくらいだったけど生活習慣の大切さをあらためて感じた。
仕事をしてる時は頭では分かっていても仕事をこなすために無理をし続けてたから
それが当たり前になってたし、
元相方もボクの仕事は理解できないし
異常な仕事だと言ってたその意味が自分が外野になって初めて分かった。
それにしても15年近くパートナーで別れてまた6年後によりが戻るなんて(汗。
燃え尽きてしまった恋なのにまた一緒にいる不思議。これも天の配剤なのだろうか?
ボクが必要だから一緒にいてほしいと言ってくれた彼をもう一度だけ信じたいと思う。
傷の舐めあいじゃなく互いに必要な存在でありたい。
大切な人と共有できるものは全て共有したい。
心からそう願うばかりです。
復調してからは安室ちゃんのライブも男6人で参戦したし、映画もたくさん見たし、
ずっとやりたかった陶芸教室にも通えてここのところは案外楽しくやってます。
相方のお父さんが画家なので毎週絵を教えてもらったりもしてるし、
前から受けたかった試験にも合格できて、自分もまだなにかやれるんじゃないか
という自信がちょっと出てきたり。
体力がなかなか戻らず車椅子で移動していたのが嘘のような日々・・・
自分で最低限の身の回りのことができる嬉しさはなにものにもかえがたいです。
どんなに時間が経とうとも、どんなに年を取ろうとも、
時間を大切にして目的を持って生きていれば死はもう怖いものではない。
今月に入りアメブロ時代から含めてアクセス数が150万を超えました。
最近は台湾やアメリカなど海外の人のアクセスが多いですが、
このブログが少しでもなにかのお役に立っているのならありがたいことです。
また前の日記にコメントをいただきましたヨースケ未来さん、青葉さん、プリンさん、
そのほか匿名でコメントいただきましたみなさん、だいぶお返事が遅くなってごめんなさい。
前回の日記を書いたころは寝たきりなことが多くて、自分でも今の回復に驚いているくらいです。
みなさんが書いてくれる日常の出来事は、
なかなか出かけることが出来なかったボクにいろいろな夢を見せてくれました。
目を閉じてその状況を思い浮かべると、早く自分も同じように感じられるように
なりたいと思えて励みになりました。
心から感謝しています。
ありがとうございます。
November 16, 2015 風太.
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