禍福は糾える縄の如し

2015/08/15

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさんこんばんは。
長い間ご無沙汰しちゃってごめんなさい。

ご心配をおかけしました。



花朧の駘蕩たる気分を味わうこともなく気づけば8月。
道端のひまわりとたなびく雲の向こうでうだるような蝉の声が聞こえてくる。

命あらんかぎり生きた証を残そうとしてる彼らを見て全ては有限であることを思い知り、
その泡沫のごとく消えゆく揺らめきをボクはただ見つめていた・・・。

・・・どうにか無事に化学療法を終え、
最大限の治療結果である寛解にやっと漕ぎつけることができました。

一種のアナフィラキシーショックである悪寒は
筆舌に尽くしがたいほどの耐え難いものだったがそれも耐えきった。

ありがたいことに進行速度が遅かったことで、癌という厄介な特性はあるものの、
いろいろと覚悟をする時間が確保できたというメリットも半ば享受できたような気がするのだ。

でも、初発より再発の方が予後は厳しいので、
この次はさすがに生きられないだろうなーと思ってたり・・・

だから治療法の有効性を証明できる5年の
無増悪期間を超えることができるよう自分なりに頑張りたいや。

多少の末梢神経障害と体力の衰えが激しくてまだ寝てることも多い日々ですが、
少しづつ出来ることも増えてきたような気がしています。。。(汗。

寛解後に維持療法を行うかどうかは、体力低下によるデメリットの享受のほうが大きいので
これから先はしばらく経過観察をしていくことになるのがある意味地固めになると思います。

家族には内緒なのでサポートも得られないしいろいろあきらめてはいたのだけれど、
今回の闘病では本当に多くの友人や仲間に支えてもらいました。

前の相方さんにしても、仕事仲間や友人やその配偶者の方たちにしても、
毎日のように来てくれるのでボクの家はいつも賑やかで笑いが絶えなかった日がありません。

甘えすぎて申し訳ないのでわんこの為にペットシッターさんを、
自分のためにお手伝いさんを雇ったら、水くさいじゃないかと怒られてしまったほどで、
ほんといい人たちに恵まれてボクは幸せです。

それでもなるべくお客さんとして来てほしい、シッターさんはわんこの病気もあるし、
お手伝いさんはみんなにお願いしにくいこともお仕事なら頼みやすいからと納得してもらいました(汗。

あとHIVやエイズでもなく、ましてやゲイの人でもないのですが、
ネットで知り合った癌のかたとお友達になる機会があったり、
同じ癌サバイバーな知人と情報交換をしたりと、みんなで元気になろうって
励まし合うだけでしたがその事も自分にとってこのうえない心強い支えになりました。

不安と恐怖、そして人生への焦り・・命が剥き出しになり病魔が襲ってきたそのとき、
人はその人にとっての岐路に否が応でも立たされることになります。

前も後ろも分からない状態で周囲の人の助けを借りながら自分の魂と向き合い、
自分の中の生きたい理由を探っていく・・・これは内面を探るのでだいぶ骨が折れることでした。

ボクの場合はやっぱりわんこより先に死ねないが生きたい理由かなって。

この先、自分を看取ってくれる人はいなかったとしても、
寂しがり屋のあの子たちを残して先に逝くのは絶対にイヤだ。

心の葛藤や、多くの気づきと共に最後は自分自身の可能性を
信じる事がなにより大切だと感じました。

だからボクが必要とされる限りは、
きっと神様がこの世に留めて生かしてくださると信じています。

療養生活もやっと人間らしい暮らしに近づいたというか、
今月に入ってから1人でお散歩もできるようになりました。

目に入る景色が新鮮で楽しくて、
久しぶりに子供に戻ったような感覚だったりしてすごく嬉しいのだ。

・・・・

今回、病気を抱えているなかであらためて認識したのが
シビアだけどお金の大切さでもありました。

ボクもそうだがわんこもこれから治療費がかかる。
2頭で毎月の治療費や検査費用やらがなんだかんだざっと10万くらい。

いまボクは仕事ができる状態ではないがこれまで必死に仕事してきた事と、
会社に補填してたお金が半分は戻ってきたおかげで仮にこのまま無職でも
慎ましやかに暮らせば10年くらいはなんとか暮らせるくらいの蓄えがあるのは
自分にとって安心できる材料となりました。

こんな状態ではあるが夢はあるんだ。

もう以前の仕事に戻る気はないが(体力的に無理はできない)
後進の育成のためにと講演会を依頼されていたり。

それはいままで仕事が忙しかったのと
人前であれこれ話すのが苦手だったのでずっと断ってきたものだった。

なるべく目立ちたくないボクにとって
この手のものは性に合わなくて以前はにべもなく蹴りまくっていた。

でも今までの集大成として、この仕事を目指す人、さらなる高みを目指している人、
はたまた挫折しかかっている人に最後に自分なりにできることをしたいと今のボクは素直に思えた。

元々技術畑であまり人と関わってこなかった自分だけど
ボクをその世界へ引っ張りあげてくれた人がいて。

だからボクも誰かにバトンを渡せる役ができるのなら
それもいいかなとこのお話を受けることにした。

それにもう少し元気になったらはじめたい勉強があったりします。
この年齢になって別次元の手習いをやるなんて無謀かもしれないけど人生は一度きり。
挑戦する気概は失ってはならないと思うからやれるだけやってみよう。

結婚もしてないし、もうさすがにパートナーはできないだろうし、
わんことボクだけなら食うには困らない。

でもボクもわんこも見事にリンクしてて、
ボクが化学療法をはじめてしばらくして二頭とも重篤な病気が発覚してしまった。

家族は似るというけれど、なにもこんなとこまで仲良く一緒じゃなくていいのに
と悔しくて悲しくて思わず泣いてしまったや(涙。

わんこ達に、もっとああしてあげればよかった、
こうしてやればよかったと思うことはたくさんある。

ボクはこの子たちのおかげで死なずに済んでるし救われてもいる、
逆に彼らにとってのボクの存在はどうだろうか。

どうかうちの子になってよかったと思っててほしいな。

・・・そういえば4月に移住先から元相方のメールがあって。

自宅近くのリゾートホテルで勤務しているようで、
残念ながらまだお店の開業には至ってない様子でした。

返事をするかどうかだいぶ迷ったけれど、
こちらも近況を知らせるとかなりショックを受けていました。

今でも愛してるから連絡は絶たないでほしいとあったけど、
相変わらず優しいけど残酷だなーと少し思ったり。

いまは彼の新しい土地での成功と幸せを心から祈ってる自分がいて、
なんだか遠い昔のようで不思議な感じです。

彼の隣にいるのはもうボクではないけど、
新しいパートナーさんといつまでも仲良く暮らしてほしいな。

ほんの一瞬のボタンの掛け違いで人生を左右したり、破滅させたり
・・・本当に運命は分からないことだらけ。

他人の目を気にして自分の価値を認められない生き方をするよりも、
その一瞬を大事にしなければいけない。

現代医学は日進月歩とはいえ、活動を抑制されたHIVは監視を潜り抜け
エスケープ変異体へと変化していくのでいたちごっこであり
非常に難しい側面がある中で癌まで患うのは最初は絶望しかありませんでした。

自分を知り、病気と寄り添うことを知り、人と比べる事をしない。
シンプルだけど気持ちが元気でいられることの秘訣のような気がします。

いままでのコメントは非公開にしていますが、
たくさんのコメントありがとうございます。

今年は大好きな桜さえ見ることかなわなかったけれど、
桜の絨毯に突進するわんこの様子を書いてくださったかたや
お庭に植えた花かんざしのことを書いてくださる方がいて、
目をとじてその様子を夢想したりして楽しい気分になれました。


心から感謝なのだ。
とまあ、お久しぶりの近況ということで。


それではまた。





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