退院しました

2015/02/05

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさん、お久しぶりなのだ。



勇気のないライオン
脳味噌のないかかし
心の無いブリキのキコリ

パートナーも居なければ心もない。それがボクだった。
ツラいときに受け止めてくれる人はなにも現実の人だけじゃない。

それを知った。

人はそれぞれ足りないものを補うために生きている。
ボクに欠けているものはいったいなんだろう?

憧憬、幸福、安心、感謝、期待、思いやり・・・
猜疑心、無念、恐怖、絶望、空虚、苦しみ、悲しみ。

小さな器の中で零れる感情はときに持て余してしまうことだってあります。


おかげさまで何事もなく無事に退院することができました。

ドアを開ければそこには懐かしい匂いがあって、胸が締め付けられる感覚が途端に甦ってくるのだ。

会いたくてたまらなかったわんこの鳴き声を聞いたら、
強烈に泣けてきてその場でヘタリこんでしまったや。

もうあの頃には戻れないって気持ちが押し寄せてくるけど、
ここだけは自分の場所なんだって素直に思えます。

平日にも関わらず、前の相方さんをはじめ仕事仲間や
その奥さんたち全員で出迎えてくれて少し照れくさかった。

申し訳なくて謝ったら、みんなお前が好きだからお前に何かしてやりたいだけ。
遠慮は止めてたまには受け入れろ・・・口々にそう言われて恐縮しちゃいました(汗。

やはり安心できる人たちの顔が見れたのはボクの中で大きかったようで、
そんな風に言われて泣いてしまいました。

もう泣くもんかと思ってたのに、こんな顔見られたくないのに、
ボクなんかの為にほんとに有難いです。

自分で言うのもなんですがいまの精神状態はすごくいいんです。

あれからしばらくはふさぎ込んで泣き暮らしていましたが、
ベッドの中でずっと大好きな音楽を聴いていました。

本を読んだり、帰ったらしたいことをノートに書いたりして、
とにかく毎日楽しいことだけを考えて過ごしました。

ノートの中身なんてね、とことんくだらないんです。
あの映画が見たいとか、いま頭が寒いからなんか可愛い帽子が買いたいとか、
そんな欲望だらけなノートです(笑。

あの一件の事がきっかけで思いつめすぎて、
こっそり泣いてたつもりが実はお隣とかにバレバレでした(汗。

あるとき、兄ちゃんだいぶ若そうだけど、
誰とも話さないで孤独になるのはやめなさいと話しかけられました。

そこで入院以来、はじめて人とまともに会話しました。

自分の望んだ答え以外は受けつけない、そんな同意を求めたいだけの他人の押しつけには
振り回されちゃ駄目だよとその人に諭されたりして、そこでやっと目が覚めて前向きになれました。

もう人に惑わされない、そう思えてからかな、
いまは地平線の向こうでさざ波の音が聞こえるような
そんな穏やかな日々がおかげで得られています。

・・・それから、前の相方さんは彼氏さんと別れたらしく、
ボクの目を見て何か言いたそうにしてたり(汗。

なんとなく何を言いたいのかは察せるんだけど、
いまのこの関係を壊したくないから知らないフリをしてるや。

別れはしたけどボクにとって大切な人には変わりないから、
彼にはやはり陰性の人と付き合ってほしいんだ。

ご両親の介護もあるのに、むざむざこんなボクのような
お荷物は背負わなくていい、そう思います。

だってボクのこと家族にしか見えないでしょ?
もう抱けないよね?そしたらまた外であなたはきっと男を作る。
最初はガマンできてもいつか絶対にそうなるから、
いまの関係のままでいてほしいというのはボクの我儘かな?

言葉にしようと思えど、いまは前の相方さんにどう話せばいいのか分からない。
ズルイかな、声にならない声が彼には聴こえていないのをいいことに
この問題は先送りにすることにしました。

治療自体は驚くほど順調で、この調子で頑張ろうって自分も思えるし、
あと3クール乗り越えるだけです。うん。

思えば昨年はいつにも増して昼夜問わず働いたせいか、今まで感じたことない異常な疲労感になんだか嫌な予感がして、東京にいるうちにいろいろ検査しておこうと思ったのが功を奏しました。

移住は失敗したけど早い段階で見つかったおかげで治療の回数も少なく済むのは
本当にラッキーだったし、転移もないから大丈夫だというのもモチベーション
の維持に繋がっています。

だから、こうやって見つかったのは幸せなのかもしれません。
あまり神頼みはしないのですが、今はなにか護られている気がしてて神様に感謝してます。

過去に病気の事をアレコレ書き記してたことで特定されちゃったこともあって、
いまのブログは本当は自分の気持ちだけをずっと綴っていくつもりだった。

いままでだってそうしてきたし、これからもそのつもりだったから、
ポリシーを曲げて書いてるこの状態は自分の中では少しだけショックでもあります。

隠してたのに書かざるを得ない事が起こったせいではあるけれど、
もう過ぎたことは仕方がないことだしいつまでも気にしてもしょうがないや、そう思えました。

電車には乗せない、病院への送り迎えは交代でする。
ちゃんと寛解したとお墨付きが得られるまでは仕事はさせない。
調子の良くないときにはわんこは他の家で過ごす。

感染症にかからないよう最大限の支援はするからお前自身も気をつけて生活するようにしろ。
ボクに内緒で、前の相方さんと仕事仲間全員で集まって退院前にすべて決めてたそうです。

自分1人しかいないから自分で全てやるつもりで覚悟していたのに
全部先を越されて彼らに宣言されました。

お前は自分ひとりでするつもりだったろうが、
俺らはそれはぜったいに許さないから覚えとけと言われたりして(汗。

さすが長年一緒に連れ添っただけあって、ボクの性格を熟知しててなにも言えませんでした。

ひとりぼっちだと思ってた、自分には誰も居ないなんて思ってたのに。
みんなそれぞれの生活もあるし、守るべき家族だってあるし、
パートナーも居るから頼れないと思ってたのに。

壊れたレコードのようにありがとうを言い続けるしかない、
そんな自分がなんだかとても恥ずかしかった。

もう従うしかなかった。
なんか。・・勝てないや。

通帳を眺めながら2年間はなにもしなくても大丈夫なように
かなり詳細な計算を組み立ててたんで気がぬけました。

節約術とかいろんなことを考えてたのに、
そういう見えない不安から解放してもらって本当に感謝です。

どう恩を返せばいいのか分からない・・・そう伝えたんだけど、
お前が周りにやってきたことが返ってきただけだ気にするな、
それでも何か言うなら元気になってみせろ!そう叱咤激励してくれて、
おかげで克服してみせるぞ!という気持ちが沸き起こってきてます。

日々のストレスから解放されて治療に集中できるなら絶対上手くいく気がします。

ボクはなにかあった時のためにわんこ達のこれからのこと、
永代供養の手続きも具体的に考えて行動していました。

後顧の憂いのあまりいろんな事がいっぱいいっぱいで、
机の上に出しっぱなしの書類を見られて本気で泣かれたりして。

おかげでみんなの前で、
もうひとりで何かを決めたりしないと強く約束させられました(汗。

ボクはひとりぼっちじゃなかったんですね。
ゲイの友だちもいない、仕事漬け人間でつまんない人間だから
余生は暗いなあなんて思ってたのに悪くない人生です。

いつ死んでも構わないと思ってたのになんて因果だろうな(涙。

化学療法は自分が思ってた以上に苦しいです。弱虫なボクからしたらよく耐えてると思うくらい。
でも・・こんなにしてもらった彼らの想いにこたえるために必ず寛解してみせます!頑張るぜ!

おー!。

久しぶりに人の笑い声を聞いた気がします。
いまから退院祝いをしてもらいます。なんだか嬉しいです。


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