ココロノコンパス

2015/01/13

日常のはなし。

t f B! P L
みなさん、こんばんはなのだ。


なんだか寝つけなくて今ごろ更新してみた。

昨日の昼間、ひとつ隣の車両から降りて人混みにまぎれて消えてく後姿が元相方に見えた。
人の切れ間から階段を昇っていくのが見え、いるわけがないのに思わず追ってしまった・・・。

突如、夢の世界から解放されてボクは我に返った。
ほんと、ボクは今さらなにしてんだろうな・・・。

昨年末、うちの母親に非通知で電話があったそうだ。声からして元相方だろうとのこと。

そのころ、ボクはなぜだか元相方が泣いている夢を何度か見たんだ。

だから、あなたに伝えたい事がある。
ボクはあなたが居なくても大丈夫だから。

早くボクの事なんて忘れて、どうかあなたの人生を生きてください。

ボクが死んだとしても泣かなくていい。
あなたはあなたの事だけを考えてこの先を生き抜いてください。

・・・ボクは同じ感染者の人たちとは縁がない。

知っていると言えるのは元相方だけ、
他はブログを読んでこの人はどんな人なんだろう?と想像するだけだ。

その元相方だって知った気になってたに過ぎないから、
いまこうして別々の道を歩んでいるのかもしれない。

束縛されるのは嫌いじゃない。
裏を返せば主張がないってことに他ならないのだけど・・・。

ボクのゲイ人生の中で相方が居なかった時期など一度もないんだけど、
この先はもう誰かの温もりを感じる事なんて二度とはないだろうな。

・・・そう思うと哀しくなるけどその反面、
こんな自分にネットを通じてやり取りしてくれる人が出来た。

画像はそのネットのお友達が書いてくれたボクの自画像らしい、
こんなん書いてもらった事なかったから照れくさいけどとても嬉しかったや。

見てくれてる人は少ないかもしれないけど、みなさんいつもありがとさん。
心から感謝しています。

重なった想いはいつか強い力になる。
相反する2つは同じ時を生きられないからボクは人に委ねる生き方を改めようと思う。

ちゃんと自分を生きるんだ。

怒り、戸惑い、衰弱、浮遊感・・・・
人としての痛みを感じているうちはまだ生きたいと思っている証拠なのかもしれない。

黄昏の空を見ながらこみ上げる涙をガマンしている。

もう泣いてはいけない。

生きる事の責任と無責任の境い目で、自分を堰きとめるモノは何かと必死に探している。

ありふれた毎日を過ごしたかっただけなのに、
なんだか難しい生き方になってしまったなと思います。

いつ死んでもいいと思っていたけれど、
10年経っても自分の心の中に折り合いなんてついてないけど、


神様、もう少しだけ見守っていてください。
どうかお願いします。


うっし!それじゃ、頑張ってくるのだ。




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