ユキイロ

2015/01/02

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさん、こんばんはなのだ。

あけましておめでとうございます。

初詣に行ったのですが、境内で順番を待っている間に
気分が悪くなってしまいお参りせず帰宅したりして。

いまは寝正月を決めこんでいます。

昨年はボクにとって激動の年になってしまいました。
なんて言えばいいのか言葉に詰まってしまいますが、それが運命なのかもしれません。

でも不思議ととても淀みのない静謐な気持ちでいまを迎えています。

尊きも卑しきも みなみまかれば 塵と化すのみ。
言葉は声に乗せた途端に安いものになって、空の彼方へ巻き上げながら視界を霞ませていく・・・。

信じても報われない願いがある。
感染した事が分かる前から、ボクの心はいつも闇の中にありました。

悔しさ、悲しさ、喪失感や怒り、そして絶望。

誰かと触れ合う余裕すらなかったのに、
自分の中に眠っていたほんの一欠片のときめきに出逢ってしまった。
それはたった数年の夢ではあったけど今ではボクのいちばんの宝物になりました。

だいぶ前からずっと読んでたブログがあった。

目立たないところでやってたからひょんな事で邂逅したときは、
ブログ主の気丈さにすごく衝撃を受けたや。

そのかたは残念ながら治療途中で更新が途絶えてしまって、
毎日見ていただけにいまでも忘れられないんだ。

あれから数年、とうとう自分の番が来た。

たったひとりで闘うしかない。
支える人も居なくてやれるだろうか?

周りのどのブログを読んでも、家族が居て、ゲイの友人が居て、
感染者の仲間が居て、パートナーが居る。

ボクには誰もいない。ゲイの友人すらいまは居ない。
まして傍に寄り添い支えてくれる人なんていない。

ひとりじゃないよなんてのはただのマヤカシだ。本当はみんななんてどこにも居ない。

なのに人に迷惑をかけてまで生きてどうする?・・・そんな葛藤がずっと拭えずにいた。
それに早く見つかったし、急速に進行しないのなら寛解への道はそう険しくないのかもしれない。

しかし、聞いたときに怖いと思うよりやっとこれで終われるという、
如何様にも表現できない不純な気持ちが止められずに本当は治療しない方針のつもりでした。

でも、たったひとりだけ、前の相方さんだけどこんなボクのために泣いてくれる人がいた。

言葉にならない涙の中に、ボクとまだ一緒に居たいという想いがこもっていたから
この先の人生に賭けてみようかと、目の前の問題に手を伸ばそうと思うことが出来たんだ。

・・・いつか必要とされなくなったら、ボクがいる意味も消えるんだろうな。

ボクの心は月と太陽のようなものだ。
いつまでもその闇とともに影のように追いかけてくる。

なにもない自分が頑張る意味を模索するのは容易ではない。

だけどそれでも頑張ってみようと思うんだ。
みんなは何もしてはくれない、自分を救えるものは自分でしかないのだ。

ボクは過去からいままでずっとブログは自分の気持ちを書くということだけに徹してきた。

あえて詳しい病名を書こうとしない、CD4の数値の推移も記そうとしないのは
ボクがブログを書き始めたころに遡るけれど、当時アメブロである感染者と相互リンクをしてた事に端を発する。

その人は、某巨大掲示板で個人スレッドが立つほどの有名な感染者の人。
彼は生活保護の不正受給を疑われながら、特効薬なんか要らないと言ってるような人だった。

その人とリンクした事で、ボクは罵詈雑言のメッセージを
匿名でもらったうえに掲示板にブログを晒されたことがある。

そんな経緯もあって、個人を特定されないよう大まかな事実を書いたのちは
意図的に表現を曖昧にしたりしています。

病院やNPOのアンケート、またブログでの検査結果の公表など、
個人情報の扱いに過敏になりすぎかもしれませんが
どちらか一方だけの相互でない情報の提供にはどうしても二の足を踏んでしまうのです。ごめんなさい。

でもね、問題を起こす感染者ほど、
これ見よがしに活動しているのはなぜだろう?っていつも思うんだ。

だからかな、人は罪と罰、そして自業自得でかんたんに結論付けをしがちになるけど
その事があってから、普通の人がそう思うのは仕方のないことだと考えるようになってしまったや(汗。

少し寝たら楽になったけど、こんなに寒いのに寝汗をかいてて自分でも驚いたのだ。。

とりあえず明日こそ、初詣に行くぞ!
皆さまにとってよい一年になりますように。

おやすみなさいなのだ。







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