記憶の香りを辿って

2014/12/05

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさん、こんばんはなのだ。


ゴールの分かっているモノに対して

いかに痛みを少なくするのかの取捨選択は
ときに命の線引きになるだろう。

現実を受け入れ事実を見据える。

そして諦める。

ここ一年くらいで物忘れがひどくなった。
年のせいで片づけるのは、ちと違う違和感だったりする。

これがいわゆるHAND(HIV関連神経認知障害)なのかな?って考える。
判定方法も曖昧だし、30代~40代で早々に脳神経系に症状が出るのはツラい。

ただ、免疫が安定しても長期に渡って療養が必要な患者も多いと聞いたことがある。

多剤併用療法のおかげでエイズ脳症は減ったが、ウイルスや薬の脳への影響は
いまだ解明出来ない未知数なモノなんだとこういう時に思い知るや。

まるでメメントのようだ。

記憶を補うために、ボクはあらゆるメモを取るようになった。

以前はまったくしなかったことだ。

ボクは記憶力が自慢だった。
軽めの本一冊程度なら、ほぼどんな本も丸暗記できてた。

それがもう出来ない。
出来ないどころか、人の名前を思い出すのさえ苦労する始末だ。

本当に泣きたくなる(涙。

これは孤独な闘いだ。
だれも助けてはくれない。

怒られるだろうが、この先に痴呆の進行が感じられたらボクは終幕を選びたい。
見当識が低下していって、大切な事が分からなくなる恐怖にボクは耐えられそうにない。

人が人でなくなる恐怖は知っている。
周りで見てきたからこそ、あんな風になりたくない。

最期は一人なんだからみっともない逝き方はしたくないんだ。
こんなことを書いてるボクは、患者としては最低な部類だと思う。

でもね、闘い抜いて死ぬ、これが出来るのは支える人が傍にいる場合だけだ。
ボクはひとりだから、いかに人に迷惑をかけないかせめて記憶のあるうちに決めたい。

蓄積された記憶を失くすことは、すなわち人生を失くすことに他ならない。
人は思い出せない記憶に対して、それを補完するためにありもしない記憶を植え付ける。

そうなってくると過去の記憶は本当に正しいのか?
そんな風に自分のことを自分で信じられないようになるかもしれない。

いや、確実にそうなるだろう・・・・。

そうなってまで生きたときに、
はたして家族はその時ボクのそばにいるのだろうか?

残念ながら、わんこも含めていなくなってると余裕で推察できるや。

なるべく自分でいろいろ決めておきたいんだ。
それがたとえ許されないことだとしても、、、、、だ。

決して後ろ向きな気持ちではなく、これが自分の人生を模索した結果なのだ。

数年後、ボクはボクでいるだろうか?
願わくば今以上に変わらないでいてほしい。

母親とわんこ達の生きてる間は、気づかれずにしっかりしていたい。

もう二度と誰かを好きにならないから。
もう二度となにも望まないから、神様どうかお願いします。

ボクが愛した空や空気。
そのすべてを心の中に留めたい。

だから記録に残るように、夢中でファインダーを覗くようになった。


無趣味だったボクに趣味ができた。







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