昨夜から吐き気が酷いのと、手の痺れがあって明け方まで眠れなかった。
寒かったせいなのかなと思いつつ、快癒してるわけじゃないんだからと諦めに似た境地なのだ。
HIV以外の病気も抱えるのがこんなにツラいなんて思ってもみなかった。
小さい物ならこれまでもずっと抱えてはいたけれど、命に関わる物でないと人は麻痺してしまう。
それが折り合いを付けるということなんだけどただの逃避だと後で気づく。
過去の日記や画像をサルベージしようとしているが、
これがなかなかどうして上手くいかないのだ。
しかたがないから昔のデジカメや携帯を何台も引っ張り出して、
中のデータを取り出そうとしているんだけど、パソコンを変えたせいか一苦労してるや。
わんこがまだ若かったころは、必ず前の相方さんが映ってるから
そこは公開せずに自分が思い返すために残しておきたいだけだけど。
あのころは楽しかった。
セックスレスで悩んでいても、わんこを通して前の相方さんと繋がってた。
同性愛者は子供が出来ないから、わんこを子供に見立ててる人も多いのかな?
ボクらにとって彼らは子供だった。
別れてしまったけど、前の相方さんのご家族も含めて
いまだボクを気にかけてくれるのは感謝しかない。
・・・前の相方さんの両親はめちゃくちゃアクティブな人たちで、
年がら年中旅行しているようなそんな人だった。
それが、最近は自宅の半径数百メートル単位の生活をしている
のを見てなんだかやるせなくなるんだ。
病院の送り迎えやお出かけその他は、前の相方さんを筆頭にその彼氏さんやボクなどで担当してる。
元々お手伝いさんがいる家とはいえ、快活だったころを知ってるから身体が不自由になってく姿は見ててツラい。
それに、ここのところは介助の度合いがどんどん大きくなってきてる。
老いるということ、病気を抱えるということ、そこでいろんな折り合いを付けるのは何かしらの葛藤があるんだ。
ホームには入りたくないと言われてるようで、前の相方さん、めっきり白髪が増えたや。
ボクもここんとこは昔のことばっかり思い出すし、なんかもういろいろ疲れているのかもしれない。
そんなご両親だが、わんこ達を連れてくと大喜びしてくれる。
一人息子がゲイだからなのか、まるで孫に逢ってるかのような喜びようでボクも嬉しいんだ。
美味しい羊羹があるのよって、いまだに内緒でわんこにあげようとするのは困りものだけど。
毎回、毎回、言い聞かせても、やっぱり会うたびに前に戻ってるのは年齢を考えたら仕方のないことなんだな。
生きるために仕事をしてきたけど、寿命を考えたときに自分がやりたい事をしようと思った。
厳然たる事実を見つめたときに、この先も苦しみが尽きないのであれば今の自分を好きになれるようになりたい。
たとえ他者に認められなくてもいいじゃないか、
自分が満足して死ねるのならそれは本望なのだと今なら考えます。
人が生きて辿り着く先にあるもの、それは自分に向き合うことであり、
決して避けては通れない道なのだ。
ボクは人生の先輩たちを見て、もう少しだけこの人たちと一緒にいたいと思った。