自分に向き合うこと

2014/12/13

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさん、こんばんはなのだ。

枯葉が舞う歩道に1本のながい陰影が沈んでいく。

心の声はもう君には届かないのかな?
違う針で差す時計は、重なり逢うことはもう二度とはない。

長い歳月で似てきたところもあった。
それが嬉しくて、君のことをもっと知りたいと思った。

君とボクの別れ道。
強がりだけど、笑って君の幸せを願いたい。


息を吸って、息を吐いて、夜が明けて、そして朝が来る。

これからもずっと続けていくことに、そこに何か特別な意味などあるのだろうか?

いい加減もう自分でも分かってるはずだよね?
ボクにはなにもないというのになぜボクは生きるのか?

人目を気にせず、大きな声で泣いたのは初めてだった。

何もしたくなかった。
考えた途端に動悸が激しくなって目のまえがクラクラしはじめるからだ。

ここ最近は、一日中ふさぎ込んでることが多くなった。

やることはやらないと生きてけない。
でも億劫だ。全てを拒みたい。

ある水準を保てれば、それが例え低い位置だとしてももうそれでいいと思うようになった。

日々のせめぎ合いは戦いだ。

人は命尽きるまで生き抜くことをさも当たり前のように言う。
死に直面したことのない人はきっと一度はその美徳を口にするだろう。

尊厳死、それはそんなに責められることだろうか?

誰だって医療の恩恵は受けたい。

治るものなら治したい。

それが叶わぬのならせめて、人の世話になるまえに、
綺麗でなくなるまえに、自分の記憶が定かでなくなる前に死にたい。

生きることは壮絶だ。病気で闘って死ぬということは、
どれだけ見せたくない自分を人に見せるか計り知れないものだからだ。

死は生ける者にとって、恐怖をもたらし、そして師であり続ける。
そして、日々そこにあり続ける命こそが奇跡だと知ることなのかもしれない。

人としての情念は煩悩で埋め尽くされているくせに、
ボクはなかなか素直に涙を流せないし、人に助けてとも言えない。

本当にくだらない可愛げのない人間だ。でも強がらなきゃ自分を保てない。

なんだか暗いトンネルで迷ってしまったようだ。

どうにかしなきゃ。

そう思うのに、この燃え尽きたような感覚をどうにかしたいのに自分じゃどうにもできない。

まだこんなこと書けてるうちは大丈夫だ。
大丈夫だって、呪文のように自分に言い聞かせてる。

少しは学習しろや、自分が情けなくてイライラしてしまうよ。
もうちょっと、あとちょっと、あと数センチメートル、もがけるようになりたい。

もう1回だけできるはずだ。

ここんとこは実はなにを書いてるのかも自分で理解してない。
なにか打ってて、それが文字になっているはずだけど自分じゃあまり分かってない。

頭の中で自分と会話してる。

ヘンだ。







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