ガン治療をしていた知人が一時帰宅、お見舞いに行ってきた。
近代医療の限界はときに命の終わりを残酷に浮き彫りにしてしまう。
回復が見込めないことをどうコミュニケーションで受容していくのか、
本人の意思とは違うところでそれは家族にも大きくのしかかってくるのだ。
医学的処置に対して終末医療が癒しという側面を重視するようになって久しい。
ひと昔前だと諦めるという色合いだけが強くて、患者さんの気持ちに寄り添うことは
家族だけの問題だとされていた。
・・・・会ったときにどんな顔をすればいいのかな?
インターホンを押して玄関のドアが開くまでの時間、
いろんな感情がごちゃまぜになって気がついたら足が震えていた。
少し痩せてしまったけれど変わらない笑顔がそこにあった。
屈託のない話をしながら見たかったというアナと雪の女王をみんなで見た。
辛い時には夏の男に何をして過ごすか夢見よう
空は晴れて友だちもいる、それが僕のあこがれる夏さ
上手くは言えないけど、多くは語らずとも沁みるようなとても閑やかな時間だった。
帰り際、ずっと心配してたんだよって、力いっぱい握手されて思わず崩れそうになってしまったや。
気まぐれな秋風が通り抜けて止まる場所、見上げれば曇り空が暗澹としている。
未来よりも今そこにある今日が過ぎていくのがたまらなく寂しい。
人は明日が来ることを知ってさえいれば、世の中はそこかしこに輝きが満ち溢れていて
この世に100パーセントの不幸というものはないんだと力いっぱいに前に進むことができる。
生きる時間、きっと人は人の優しさに触れて、物事に耐えていく力を蓄えながら諦めを学び、
そして世を儚んでその業の深さが何たるかを知っていくんだろう・・・・
どう死ぬか。
病気になったり、事故に遭ったり差し迫った現実でない限りは、
どう死ぬかなんてものを意識するのはなかなか難しい。
穏やかな死を迎えたいのなら・・・・
拾った命を粗末にせず規則正しい投薬治療を続けなきゃダメなんだ。
それが元々生きることに執着が持てず死ぬ気だった
感染初期のどん底から導きだしたボクなりの答えだった(汗。
でもね神様、ほんとはね、人の生きる長さが違うなんてとても不公平だと思うんだ。
ボクのことはいい・・・でもボクの周りにはまだまだ生きてて欲しい人がたくさんいるんだ。
すっかり夕暮れに染まった街路樹のなかを歩くボクの頬に冷たく埃っぽい風が吹きぬけていった。