『そろそろ近くに住むなり、お嫁さんを連れてくるなりして欲しいわ』
台風ということで朝から母へ電話をしたら上の言葉が返ってきた。
母親はボクがゲイだということもHIVという病気だということも知らない・・・・
何もしてあげられずごめんなさい。
このごろなんだか親の姿が突然小さく見えるようになった。
親元を離れたときにもらった母からの一通の手紙。
父親のDVで楽しいはずの10代をめちゃめちゃにしたこと、
一年近くもホテル暮らしで常に恐怖に怯えて暮らさせてしまったこと
母はなにも悪くないのに最初から最後まで謝罪の手紙だった。
そして健康で生きて欲しいという親心が便箋のそこかしこに溢れていた。
いつも崩れそうなときに、コソコソ見ていたからもう色褪せて皺くちゃだけど
それでも一生懸命したためた文字の1つ1つはボクにとって宝物なのだ(汗。
正直なところ、親に病気を打ち明けたり支えてもらっている人がうらやましい。
彷徨う数多の雨粒を見ながら一生届かない当たり前の幸せに心が折れそうになるんだ。
嘘をついて、嘘を重ねて、ボクはその先に一体なにを見るのだろう?
ボクだって帰れるものなら帰りたい・・・・でもボクの親戚や知人は医療関係者ばかり。
しかも地元から通える拠点病院には必ずいるという運のなさに泣けてくる。
そのうえ当の母でさえ元医療従事者とキタもんだからこのさきボクは
何があろうとも母にだけはHIVだと絶対に勘付かれるわけにはいかないんだ。
ほーぷの見た目で少し気になるところがあるんだけど、、、、
もしかしてどこか患ってるんじゃない?
移住関係で元の相方さんにも母は何度か会っているが、
以前母にこう聞かれたことがあると彼が話してくれたことがあった。
だからボクは二度と母と一緒に暮らすことはできない。
医学はその輝かしい発展と共にボクの中に暗い影を落としている。
患者は必要でない限りは病気であることを他に開示したくない。
本来は医師が治療の機会に知りえた情報は守秘義務によって漏洩されることがない。
それが病院に対する信頼に繋がり、患者の安心感へと繋がっていく・・・・
だけどこれが例えば親戚のいる病院だったらどうだろ?
普遍的なものでなければならないと考えられた倫理上の信念が
親戚だということで途端に揺らいでしまったりしないだろうか?なんて。
ブログやツイッターなどで患者の悪口を書いてみたり
検査データを安易に載せたりする医療従事者が実際にいるなかで
ほーぷくんが今日病院へ来てたけどあの子HIVだったよ・・・なんて
親類縁者限定ならこんな会話があったとしてもなんら不思議はないだろう。
HIVはすぐに死なない病気になった反面、その症状は患者によって千差万別であり
データ的にはまだまだ未知な部分が大きいのが現状だ。
投薬の経過でその安全性や有効性を確認したり、日常生活における患者の心理を細かく
リサーチしたりとありとあらゆることが常に大きな臨床試験のようなものであり、
ボクらはその渦の中で不安や葛藤に絡めとられながらもがき続けているんだ。
いまのところに越してきたとき、市役所でHIVだと記載された書類を
その場にいた職員のほぼ全員に見られたことがある。
以前のところでは担当者が引っ越すまでずっと同じ方で、
その方が情報が漏れないように最新の注意を払ってくれてたからその対応に驚いた。
こちらを振り向いた時の何とも形容しようがないこわばった全員の表情を、
ボクは何年経ってもいまだに忘れることができないや。
だからバレることが怖くて仕方がない。
自分に胸を張って生きることができないボクは心底臆病な人間なのだ。
ごめんね母さん、ボクはもう家に帰ることができない。
だけどどんなことをしても最後まで隠し通してみせます。
それがボクのあなたに対する歪んだ親孝行なのだから。
・・・・電話口から聞こえるとりとめのない言葉を聞きながら、
ガラスに映ったボクにボクは話しかけている。
涙の雨にならなんでも話せるような、そんな気がするから。
移住関係で元の相方さんにも母は何度か会っているが、
以前母にこう聞かれたことがあると彼が話してくれたことがあった。
だからボクは二度と母と一緒に暮らすことはできない。
医学はその輝かしい発展と共にボクの中に暗い影を落としている。
患者は必要でない限りは病気であることを他に開示したくない。
本来は医師が治療の機会に知りえた情報は守秘義務によって漏洩されることがない。
それが病院に対する信頼に繋がり、患者の安心感へと繋がっていく・・・・
だけどこれが例えば親戚のいる病院だったらどうだろ?
普遍的なものでなければならないと考えられた倫理上の信念が
親戚だということで途端に揺らいでしまったりしないだろうか?なんて。
ブログやツイッターなどで患者の悪口を書いてみたり
検査データを安易に載せたりする医療従事者が実際にいるなかで
ほーぷくんが今日病院へ来てたけどあの子HIVだったよ・・・なんて
親類縁者限定ならこんな会話があったとしてもなんら不思議はないだろう。
HIVはすぐに死なない病気になった反面、その症状は患者によって千差万別であり
データ的にはまだまだ未知な部分が大きいのが現状だ。
投薬の経過でその安全性や有効性を確認したり、日常生活における患者の心理を細かく
リサーチしたりとありとあらゆることが常に大きな臨床試験のようなものであり、
ボクらはその渦の中で不安や葛藤に絡めとられながらもがき続けているんだ。
いまのところに越してきたとき、市役所でHIVだと記載された書類を
その場にいた職員のほぼ全員に見られたことがある。
以前のところでは担当者が引っ越すまでずっと同じ方で、
その方が情報が漏れないように最新の注意を払ってくれてたからその対応に驚いた。
こちらを振り向いた時の何とも形容しようがないこわばった全員の表情を、
ボクは何年経ってもいまだに忘れることができないや。
だからバレることが怖くて仕方がない。
自分に胸を張って生きることができないボクは心底臆病な人間なのだ。
ごめんね母さん、ボクはもう家に帰ることができない。
だけどどんなことをしても最後まで隠し通してみせます。
それがボクのあなたに対する歪んだ親孝行なのだから。
・・・・電話口から聞こえるとりとめのない言葉を聞きながら、
ガラスに映ったボクにボクは話しかけている。
涙の雨にならなんでも話せるような、そんな気がするから。