HIVとの共存

2013/07/04

HIV・AIDS

t f B! P L


米国でリンパ腫の治療のための骨髄移植を受けた男性患者2人の体内から、
感染していたエイズウイルス(HIV)が消滅したようだと、ハーバード大の研究者が3日、
マレーシアの首都クアラルンプールで開かれた国際エイズ会議で報告した。
ロイター通信などが報じた。


HIVが完全に消滅したかは確認できていないが、1人目の患者は、HIVを抑制するための
抗レトロウイルス薬の投与を4カ月近く、2人目は2カ月近く中断しているという。


同様の例では、2007年にドイツで白血病のため骨髄移植を受けた男性の体内から
HIVが消えたことがあるが、HIVへの耐性があるとされる特殊な骨髄の遺伝子を持つ
ドナーからの移植だった。


今回の患者2人のように通常のドナーからの骨髄移植でHIVが消滅するのは初めてといい、
専門家は「HIV撲滅の研究は新たな領域に入ろうとしている」と期待している。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/130704/scn13070401060000-n1.htm



みなさん、こんはんはなのだ。


日進月歩を遂げる近代医学、
画期的な研究はボクたちの健康を向上させるために多くの選択肢を与えてくれたりして。


教育の現場でロールプレイをやるときのファクトシートは
どちらかといえば予防に重点をおいてることが多いと言われている。


そして、もし感染したとしても抗レトロウイルス薬による治療を受けることによって
他の人への感染を防ぐという側面もそれに続くのではないだろうか・・・。


検査を受ける人の減少率と患者報告数は決して比例しなかったりするのだ。
だからこれだけ警鐘を鳴らしてもいきなりエイズとゆー現象が増えていて。


他者に知られないところで即席の検査を受けるのはなぜか?


それは。社会的な影響や非難を恐れるからに他ならないわけで、
だから検査自体は決して誰にも知られてはいけない秘め事になっているのだ。


HIV・エイズの問題を語るとき、そのアンバランスで脆い闇の部分がくっきりと浮き彫りになる。


自分は大丈夫だって都合の良い解釈でなんとなくやり過ごしちゃう、そんな人もいると思います。
日本人はその気質からか、それは恥ずかしいこととされ性に対してオープンにできない・・・。


そして。いくら道徳を唱えても人は弱いもので、
情やその時の欲に流されてしまい・・・・でも、それが人間の性なのかもしれません。


・・・・・どれだけ知識が浸透したとしても、どれだけ偏見を持たないでと言われても
差別意識はそうそう根底から消えてはいかないものなのだと思います。


どうしていいのかわからない感覚は誰にでもあって、
実はそれは生理的に嫌いと同じよーなものだったりして。


どこの医療関係や、NPO団体のホームページを覗いてみても。
そこに書かれているのは、難しい言葉で着飾ったキレイごとばかりで頭には入ってこない。


端的に言えばそこに何も間違いはない、実にその通りだったりするのだけれど、
知識の刷り込みだけではエイズ・フリー世代を目指すのは限界にきているのが現状です。


他の病気と違って病名が公言できなくて、嘘を嘘で塗り固めているうちに精神を狂わせていく・・・
そんな恐ろしさを味わったからこそ、ボクはすこし思うところがあります。


・・・・エイズによる死亡者数はすでに累積数2000万人を超え、
その猛威は残念ながらいまだ衰えを見せる気配すらありません・・・。


これまでたくさんの啓発活動が行われてきました。
身近な例では、Act Against AIDSやACジャパン支援によるCMなど
一度は目にしたことがある人も多いのではないかと思います。


彼氏の、元カノの元カレの元カノの元カレの元カノの元カレの …
パンデミックの脅威はその得体の知れない恐ろしさだけが強調されがちだったりして。


だけどもし。

愛する人が感染したとしたら?

自分が感染したとしたら?

わが子が感染したとしたら?・・・


どうします?ではなくて、その時どう思うのか、心の在り方を問うところまで
この病気はすでに身近なものとなっている・・・そんな気がするのです。


生身の過去をもつ不完全な人間の部分を認めることができてこそ。
根治的治療につながっていくのかもしれないなんてそんな風に少し考えてしまいます。


真の病の原因にアプローチすることは現実を受け止める勇気。
それは自分にとって、とても恥ずかしくて、とても辛いことが待ち受けてるやもしれません。


だからこそ。愛する人や他の人の未来を狂わせてはいけないのだと、
またご自分を大切にして検査してほしいのだと心から思うのです。


・・・生きていることが恥ずかしいと思い込んでたボク。


こんな自分を許し愛してくれる人がいるということ、
どんな事情があっても受止めてもらえるということ、


ボクの小さな世界は暖かな光で満たされたのだ。
慢性疾患の観点から最善な生き方を論じられること、そして堂々とこの病気を公言できること・・・・
近い将来。いつかそんな時代がやってくることをボクは願わずにはいられないのです。


もしアナタの大切な人が感染者だったとしても・・・・
どうか、どうか愛してあげられるアナタでいてください。
どうか、どうか、お願いしますのだ・・・・・


あうー。とりとめのない日記になっちゃったや・・・エラソでごめんなさいなのだ(汗。


おやす眠



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