母と僕と。

2021/05/10

家族のはなし

t f B! P L

 皆さんこんばんは。




ご多分に漏れず、今年も僕は母の日を意識していました。


僕達は、互いに長いこと連絡を取り合っていませんでした。

母との思い出には、ほんわかするような親子のエピソードがありません。


世間体を気にした母に、誰よりも秀でるようにと躾けられたが窮屈な家だった。

僕はいつしか母と向き合うのが怖くなって、ずっと心を閉じたままでした。


心のまにまに浮かぶ母の肖像。

なにも実らぬ徒花のように、僕には家族の思い出はないと勝手に思っていた。


いろんな事がありすぎたせいなのか、若い頃は何も思い出せなかったのに、

僕がこの年齢になってようやく、閃光のように母との記憶が瞬き始めたんだ。



なんの変哲もない母の卵焼きがなぜか美味かった。

時間があればスケッチブックに綺麗な絵を何枚も描いていた。

母は陶芸が好きで、よく窯元に行っては食器を集めていた。


お互いに歳をとった。


気づけば僕も絵を描くのが趣味になっているから不思議だ。

そして陶芸が好きで自分の作品を作り続けている。

世の中には美味いものがたくさんあるけど、今でも卵料理が一番の好物だったりする。


あとは、いま抱えている病気も似通ってて。

まあ、親から子への遺伝の要素が大きいからだけどね。



遠く離れた土地で、周りの環境も、時間の使い方も、何もかもが違うのに

親子のDNAはきっとこうやって当たり前に受け継がれているんだろうな、、、、、



母と離れてからの僕はようやく自分になれた。

集りや暴力、しがらみや脅しに虐待、、、、田舎は魔窟そのものだった。


そこは狭くて逃げられない世界。


でも、長い時間が経って、ようやく過去を過去にすることができそうだ。

そしてなんだかんだ、母がどう思おうが気にしないで、自分で選択できる人生になった。



年に数回だけど、ここ5,6年前くらいから定期的に電話で近況報告するようになった。

母は僕のことをやっぱり少しも理解していないけど、僕の健康に気を遣うことを言うんだ。


なかなか想いを伝えることは難しいけれど、

絡まった糸がほどけるように少しづつ関係が良いものに変わっていくといいな。


お互いに平気な振りをするのは止めよう。



今年の贈り物はお礼を言われた。

昨年はお金のほうがいいと文句ばっかりだったのに。


こうやって紡いでいく時間の中で、少しでも親子の真似事が出来たら嬉しい。

他の家とは違いすぎて、もうそれが正しいことなのかの判断もつかないけれど、、、



母も一人の人間だ。

女であり、仕事人間であり、家族であり、そして弱い母だった。


僕も同じだ。


母の日は、心に刺さったいろんな想いを祓って戻らぬ川へ流す機会だ。

ちょっと先の未来では、母ともう少しマシな関係になってるといい。


母へ、ありがとう。

今なら無理なくそう言える気がするんだ。



それじゃまた。











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