皆さんおはようございます。
介護は一人で背負うと割り切れない。
デイサービスのない日、僕がその日の朝~翌日の朝まで両親を見ています。
そんな時は、丸一日ほど僕は一睡もしません。
頭の中は常に介護が占めていて、片時も気が休まらなかったりします。
自宅で仕事をこなしながら、料理や洗濯、掃除をして
服薬の補助をし、着替えや排泄介助、夕方にはお風呂の介助、
その合間にサポートを円滑にするために各施設やケアマネジャーさんへの連絡。
ヘルパーさんが記載してくれているノートへのお返事、医師への連絡、
両親への運動を促したり、脳トレをしてみたり、読み聞かせをしたり、、、、
薬についても、健保連による薬剤費の削減政策によって、栄養補助にあたるビタミン剤
などは保険適用外になっているので、自分で用意しなければならなくなった。
他にセサミンやグルコサミン、ブルーベリーなどを処方薬と一緒に一包化する作業があり。
だから、朝昼晩の薬を一ヶ月ぶん用意するだけでも手間が増えてしまい頭がいたいのだ。
世の中はセルフメディケーション時代に突入し、医療の認識が昔とは変わろうとしている。
こなすにも、心臓に爆弾を抱えながら、元気な老人の介護する事は容易ではありません。
老人はとめどなく同じ話を繰り返す。
同じ話を蒸し返しては、こちらが即座に返事をしないと鬼の形相でこちらを罵る。
だから謝ってこちらが答えると、その3秒後にはまた同じ事を堂々と聞いてくる。
それでも僕は感情を押し殺して黙々と答えて、両親を咎めることもしない。
ね?これは誰が見ても認知症の症状だと普通は思うよね。
だから共感してあげて不安にさせないようにしなけりゃ、ってのが介護の基本だったり。
だけど違うんだな。
確かに片方はまだら惚けの認知症。
しかし、これは僕をいたぶって遊ぶ、夫婦共通のお楽しみゲーム。
実際は記憶がしっかりあって「私らが満足するまで何度でもお前は答えろ」と言う。
その反面、何も食べてないと本気で騒ぐ認知症の症状もあるから本当に厄介だ(汗。
業が深いほど性格は腐りきっているけど、それでも脳の病気でもある事実。
なので、こちらが親の様子を見分けて、その上で対策を工夫していかないとダメなんだ。
うちは特殊すぎるので、心が折れそうで悲しくなります。
デイサービスに行ける環境であっても、身内がやる事はかなり多い。
そんな時の親戚というものは、状況を無視してやたらと家に入り浸りたがるのだ。
生を通して人は死に方を学ぶ。
人間としての機会を、家族としての役割を、人生を費やせられる何かへの情熱を、
ああいう親だとしても、せっかくこの世にいるのだから彼らにも持たせてあげたい。
それを切符に大往生してくれればいい。
僕も相方もそう思っている。
僕らも人間だから、決して憎しみがないわけではない。
でも全て飲み込んで介護するのは、自分達の成長にも繋がるからと思っているからだ。
ある意味反面教師として、生きる教訓になっている親たち。
今は俗物にまみれていても、死にゆくときの景色は綺麗なものであってほしい。
子の心、親は知らずだろうけど、介護をやり遂げるために強くあろうと思う。
永遠の旅のようで人生は短い。
命の梢が消え失せて、魂が空へ飛び立つその日まで。
僕は相方と共に生きよう。