皆さんこんばんは。
七日は五節句の中の人日の節句でしたね。
無病息災を願うってことで七草がゆを作ってみました。
最近はスーパーの売り場にあるので楽ちんですよね。
春の七草....芹、繁縷、御形、仏の座、菘、蘿蔔、薺と名前は言えるんだけど、
行事がくるたびに込められた意味を思い出せないというのはなんとも情けない。
確か神を呼ぶ鈴とか、繁栄とか、仏の安座とかそういう感じだったはず。
あとは食べると胃腸にいいくらいしか、、、、
それでも粥系は好きなので、刻み生姜と鶏肉を入れて
味付けは邪道ですがカレー粉を入れて最後にチーズをほんのちょっと足します。
もはや七草粥じゃないけど、実はこれが大好きな味だったりします(汗。
そうそう。
わんこ達が旅立ってから、僕の家の庭でいろんな出会いがあるんです。
アシナガバチにアゲハチョウ、カマキリやシジュウカラやなぜかインコまで。
あまりに何羽も来るのでバードバス設置して観察してみたり。
その中でも一番のお得意様はネコです。それも三軒隣の飼い猫さん。
毎日決まった時間に来てはおやつの催促で「ニャーっ」って合図してくるのです。
まあ越してからご近所との関係も良好なので、飼い主さんに了解を得たうえで
猫さんにはささみとかカツオとかをあげてるんですがこの子の媚びかたが凄くて(笑。
食べながら何か喋ってるし、食べ終わるとお触りタイムを要求してきます。
可愛すぎてつい要求のままに応じちゃいますが、たまに猫パンチもされたりして
「アメとムチ」を完全に使いこなしているんで僕は知らぬ間に下僕扱いされてます。
いちどこの子が食べてるときに、こっそり隠れていた飼い主さんが声がけしたら
目をガッと見開いて、銜えていたおやつを落としてバツが悪そうな顔をしていました。
猫でもあんな表情するんだって笑ってしまいました。
いろんな生き物が庭に現れるのは以前はなかったことです。
それほどわんこの居た形跡が無くなってしまったのだとはじめはとても悲しくて。
でも相方はきっとわんこがさまざまな姿形になって会いに来てるんだって言うのです。
僕があまりにヘタレなもんだから仮の姿で現世に来たのかもしれないなー。
そう思うとなんだか愛らしいというか何というか。
でも蝶は青虫のころは大事にしているレモンやさくらんぼの葉を全滅させるので
正直なところ耐える必要もありますが、それも含めてなんか可愛いと思います。
あとはすぐ隣の家のわんこが夜のお散歩の帰りにうちに来ます。
僕が出てくるまで動かないそうでしばしの間撫でてあげると、
やっと満足そうに玄関へ消えていきます。
だいたい決まった時間みたいなんで不思議なもんですよね。
動物って寂しいとかそういうのに敏感だから元気づけてくれてる気がします。
生きているうえでの結びつきは人を豊かにします。
僕は子供のころは父のDVや大人の脅しにいつも怯えていました。
何かを望んだり、何かを欲しがったりもしなかった。
殺されかかったり、搾取されたり、集団の結束を高めるために生け贄のようにされたり、
僕の周りの大人はそんな人ばかりで、母親ですら継母にイジメ抜かれた人だから子供への
接し方が空回りしていて...そんな親を見るのもうんざりしてた記憶しかありません。
愛されることはただの眉唾もので、みんな利益をむさぼるために近づいてくる。
都会に出てきた20年前、たった数万円を握りしめて生きるつもりもなく田舎から出てきて
そこではじめて信頼できる人や、紆余曲折があったにせよ相方に出会えわんこと暮らせた。
仕事の成功を妬まれたりせず、褒めてくれたり協力してくれる人もできて人が温かかった。
東京の人はみんな冷たいというステレオタイプのイメージは1つもなくて驚いたものです。
そして今、安心して帰る家が出来た。
わんこ達と過ごせたことで、心に燻ってた孤独が和らいで穏やかな人になれた。
旅の終わりに生かされた事を心から良かったと思うためにも
他者と比較することに囚われる生き方はしないように、
自分の心の声に耳を傾けて素直でいようと思います。
意地になっても良いことないしね。
それではおやすみなさい。
もうすぐ朝だね。いい朝になるといいなー。