HIVの認識

2013/07/31

HIV・AIDS

t f B! P L
みなさんこんばんはなのだ。



まずはじめに。


ごめんなさい。
ボクは皆さんの払う税金で生かされています。


HIV・エイズを語るとき。いまだ受け皿になる社会基盤が確立できてないことと
感染症に対する曖昧な知識が、感染者と健常者との間でさまざまな軋轢を生じさせます。


現在。HIVは感染経路が限られていて、
日常生活で感染する可能性はほとんどないといっても間違いはありません。


この病気は。その人の性が赤裸々に暴かれるのと同時に、
社会によって厄介者の烙印と裁きと報復という哀しい因果を運んできます。


インターネットなどで必ず書かれているのは、
エイズになったのは自業自得、そんな奴等のために税金を使うな。


同じ難病のはずの人でさえも、セックスでなったんなら
自業自得だから血税を使わないでの垂れ死ぬべきだと言う人もいたりして(涙。


いままでたくさんの啓発活動が行われてきましたが・・・
残念だけどこれがいまの社会の声なんだと思うのです。


発生から二十年以上経過したエイズパニックから何が変わったんだろうか?? 
実は根本的には何ひとつとして変わってはいないのです。


情報操作によって作りだされたエイズパニック。
すでにエイズで死亡していた血友病患者の存在を隠し、
日本では海外から帰国したゲイの患者を第1号患者として認定し報道しました。


エイズはゲイの病気だという風潮はここからはじまって、そして緊急課題であったはずの
薬害HIVの救済はソレが隠蔽された結果、加熱製剤の認可が大幅に遅れる原因となりました。


続けて神戸では二次感染を防ぐというマスコミの名目のもと、
患者本人を特定しうる個人情報を週刊誌で公表、
その患者がセックスワーカーだという誤報で街はパニックに。


一人の患者の人権より命優先だという実名報道論議は、エイズを人々に忌避される疾患として
さらなるエイズ患者の二極化を生みだしました、いわゆるいいエイズ、悪いエイズの始まりでした。


当時の新聞やテレビなどメディアの扱いは、エイズの恐怖をあおるばかりで非加熱製剤で
感染した血友病患者は被害者で、性交渉での感染は自業自得であり感染を広める加害者
というそんな悪循環な図式を作りだしました。


感染経路別にグループ分けをすると、とりわけ性的接触に関しては既存の差別意識も
あいまって患者は蔑視されさらなる厳しい現実に立たされたりしていました。


・・・センセーショナルなまでの第一印象とは恐ろしいもので、
これが現在まで根深く続いています。



しかし。疾病に対する不安や恐怖は、多くの人たちにとって決して小さくはないもの。
それが感染症ともなれば、できれば関わりたくない、社会から排斥したいという気持ちは、
自己防衛本能のある人間ならば、ある意味とても自然なことだと思うのです。



でも。差別されるかもという恐怖は、
自分が感染者なのかそうでないかを知ることさえからも目を背けさせたりして。
エイズノイローゼという例もありますように、感染の有無を調べる検査や発症を抑えるための
治療を受けるということさえ躊躇させるという非常に危うい側面もあります。



いまだにゲイだけの病気と思われがちですが、中高年の人たちに“いきなりエイズ”が増えていて。
検査に行こうと活動しても、検査の実情からいえば、実数の把握というのは非常に困難だったり。


また。正しくコンドームを使うことで予防効果は格段に上がりますが、
果たして正しく使えている人がどれだけいるのかという疑問も起こるのではと思うのです。

そして避妊具としても100パーセント保障するものでない以上、
感染を100%防ぐモノではないということで、その辺は意外とまだ知らない人もいます。


情報を積極的に得る機会がないこと、90年代の悪いイメージを払拭できてないことが、
共に生きるという道を妨げているのは悲しいことです。


ボク自身。いまの自治体の障碍者窓口へ申請に行ったときは、
職員全員で書類を回し読みされた挙句、みんなでえも言われぬ耐え難い視線を
投げつけられたことがあってキツかった思いがあったりして。


それから歯医者に関しても歯科診療協力医のネットワークの中から、
通いやすい歯科を選んで行ったことがあったのですが、他の患者さんがいるのに
大声で手帳の提示を求められたり、治療の最中、助手の人たちだけで遠巻きになりながら
こちらを見つつヒソヒソされたりと、医療忌避こそされませんでしたがトラウマになることは
一度や二度ではなかったような気がします。


相方さんのドクターの話を聞く限りはボクに運がないだけだけど(汗。
また、感染者のなかには。プライバシーの漏えいを怖がって、
障碍者手帳の申請ができない者もなかにはいると以前に聞いたことがあります。


2010年 ある看護師がHIVキャリアを理由に退職勧奨を受け退職したという報道がありました。


「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」の一部改正後の2012年になっても
別の病院勤務の看護師が感染を理由に休職を強要されたうえに退職したという報道があり、
スタンダードプリコーションが徹底しているはずの医療機関でさえこんなことが起こるんだと
知ったときは愕然として目の前が真っ暗になったのは記憶に新しい気がします。


確かにセックスは自分が好きでやったこと、自業自得に間違いはありません。
10本の指で事足りる拙い経験回数で感染するなんてボクとしてはかなり泣けるけど。
それでもお世話になってる社会に対しては申し訳なさで心苦しいです。


どう生きていくのか、どう社会と共生していくのか、
そしてどうこの病気を隠して墓まで持っていくか、


そればかり考えている、生きているのに死んでいるスパイみたいな自分がいるのも確かです。


だから、健常者のみなさんと、社会とともに生きる・・・ためには、ポリティカルコレクトネスな
税金を使うことの納得性をキチンと議論するのは当然のことだと思うのです。


しかしボクはこう思うのです。


罹患理由にかかわらずボクを含めた感染者の人たちは、
感染予防に対して重要な役割を果たすことがきっとできるんじゃないかと。


感染者の社会保障の制限は。一般の公共の機関における検査機関などの利用低下や
感染予防にも悪影響を与えることに何かしら繋がっていく気がするのです。


それはなぜか。自分と感染者は違うとHIVを特別視するからだと思います。
ボクも元は健康だったから分かりますが、言葉で身近な病気ですと言われても
にわかに信じがたいですよね?


そして、治療ができる機会が増えることは建設的に生きれることに他ならないわけで、
限りなくウイルスが抑えられるということは、結果的に感染予防として
大きな期待ができるんじゃないかとそんな風に思うのです。


残念ながら検査を受けていない無症候性キャリアや感染者の人は多いと推測されていて、
共生できる環境があることはすなわち検査を隠したり躊躇するような環境ではないことになります。


検査で発見して感染者の増加を防ぐ・・・これは国や医療の現場での指針でもあるけれど
もっと大きなうねりとなって当たり前になれば、お互いに共生できる道が見えてくる気がします。


・・・・ボクらも権利を声高に要求するようなノイジー・マイノリティにならぬよう、
精いっぱい前を向いて歩いていきたい、心からそー思うのです。


医療費の助成のおかげで、ボクは毎月ちゃんとお薬が飲めて先生にも診てもらえています。
せめて一生懸命に働いて税金をおさめることで報いなければと、感謝の気持ちでいっぱいです。


ありがとう ごめんなさい


今日もみなさんのおかげでボクは生きてます・・・・




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