この時期は、はじめて病院へ足を運んだことを思い出したりして。
はじめて病院の門をくぐった日、ボクは診察室で泣いていたんだ。
あ、いろいろ放置してたせーで、血だらけだったの(笑。
それまでも、帯状疱疹を二ヶ月の間に何度も罹患していて、
あまりに重症なんで皮膚科のドクターには、すぐに入院をしろと勧められていた。
こんな短期に何度も患うなんて、いまいち原因が分からないから嫌な予感で胸騒ぎがしてた。
立ってることすら辛かったのに、それでも仕事を続けたのは周囲の人に悟られたくなかったせい。
ボクは一ヶ月近く、痛みと高熱と闘いながら平然と振る舞っていた。
その間に、思いきって保険所へ行って発覚、
見た目があまりに酷くて、先生が驚きまくっていたのがとても印象的だったよ。
・・・・保健所で紹介状を手にしたその時から、すでに二週間が経過してたけど、
ボクはそれでも、怖くて、怖くて、病院へ行く勇気がなかったの。
どちらかといえば、死ねずに病院へ行ったというほうが正しいのかもしれません。
カルテがあるのに、なぜだか俺のこと若いガキだと勘違いしてる人が多くて。
『だいじょーぶだよー』って、いつもいろんな先生になでなでされていたっけな(笑。
おかげで、本当の年齢が分かった時の、周囲の目の泳ぎかたが忘れられんし。
結局、ウダウダして行くのが遅れたせーで、いまだにいろんな治療を続けているけど、
全ては、自分の健康に対する怠慢のせいで、こうなったことの結果であるのです。
知るのが、もう少し遅れていたら、もしかしたら・・・
だから、検査に行けた事に、あの日の偶然に、心から感謝しているよー。
人生はときどき、どーしよーもないことが起こって。
自分のサイズに合わないことにも負けねーぜって、こらえなきゃいけない時が来ます。
でもね、薬を飲むことで、ウイルスの増殖をコントロールすることができて助かりました。
早期発見がなによりも大切で、治療で進行を食い止めることが、なにより重要だということ。
いまになって身にしみて分かるんだー。
最近、いきなりエイズってのが多いって聞くんだ。
正しい知識の行き届かないことにより、差別を受けるであろう可能性を示唆した検査を、
全ての人の義務として課する事は、いまの現状ではまだできないように思うんだ。
その結果、検査を受けないという人が意外と多いんじゃないかなって。
検査で感染が分かった際、すでに発症している人の割合は大都市よりその周辺県に多い。
だから、検査に対する視点や、アプローチの方法を変えるだけで、
少なくとも検査することって、そんなに怖いものではなくなるんじゃないのかなー。
ボク、怒られるかもだけど、撲滅とかいう言葉ってあまり好きじゃなかったりします。
共に生きるということを選択肢から外した、畏怖を煽るだけの排他的な活動って
結局は、絶対的なイニシアティブを握ることで、逆に恐怖心を植えつけてしまう気がするんだ。
偉そうで本当にごめんなさい(汗。
疫学が示すデータや画像などの、目に見えることだけに頼ることは、
検査を受けることから、早期発見をすることから、治療を受けることから遠のいてしまい、
潜在的無症状キャリアを増やしてしまう悪循環になるんじゃって、そう思うんだ。
ね?感染者だから、アンダーグラウンドを選んでいかなきゃいけないのかな?
憎むべきはウイルスであって、人じゃ決してないんだって理解し合えたら嬉しいな。
いまね、こんなボクを暖かく包んでくれる、そんな存在がありがたくて。
同じ感染者の声は、未来を奏でるかのごとくそよ風に乗ってやってきて、
いろんなもんを諦めてたボクにちょっとだけ希望を運んできてくれたように思います。
そんな気がして、ボクは久しぶりに人間として息ができたようです。
俺ってば、まだしぶとく生きてるみたいだぜっ。
おだやかにいろんなもんが過ぎようとしています。
おやすみなのだ。