うはは。今日もお仕事お疲れちゃん。
今日も帰ってから段ボール詰め作業に追われ、最後の思い出作りにとお散歩。
ここへ来て9年か・・・長かったなー。
なんだか今日は一日中胸がざわざわしてるんだ。
寂しくて、ひとりでいたくなくて、でも結局はおひとりさまなわけで(笑。
春夏秋冬、いくつもの季節をこの街で越えてきた。
思い出せないほどの、たくさんの思い出が詰まった場所なんだ。
公園の木陰で一日中本を読んだなー
この八百屋さんいつもオマケをくれたなー
気がつけば、日記を見ながら、写真を見ながら、想い出し作業に没頭してたよ。
最近の自分の身の置き場のなさに、焦燥感で焦げ付いた胸は苦しくなるばかり。
この街を出て行く当日、ボクはどんな気持ちになるのかなー。今から怖いや。
かけがえのない日々に、しばしのさよなら。
突然だけど、週明けにお引っ越しなのだ。
いや、実は前から計画してたんだけどねっ。
先の見えない状況に、いくつもの場所を維持していくのは得策ではないと思ったんで。
はー。元は新宿区民だったのに、ボクはどこへ向かってるんだ?(笑。
ま、一番の理由は、営業先が目と鼻の先という、なんともビミョーな仕事優先の結果であり。
一年間、なんとか凌いでこの先もいけそーなのか、廃業しなけりゃならんのか
不安だらけなんだけど、もはや選択の余地なく、うおーってやるっきゃないよねー。
今日、相方と話したさ。やっぱりというか、男はいるよーで。
でも、なんとか家族としてはやってけそーだよ。うん。
ま、俺を好きになってくれるよーな奇特な人なんて、この先おらんと思うから
きっと相方が最後の男なのかもしれないねー、って思うと感慨深いかも。
まだ正式に言い渡されたわけではないけれど、なんだか諦めにも似た感情です。
思考や行動の裏付けには、自分へのクエスチョンという、
隠れた意味がいつも隣り合わせで存在してると思うんだ。
今まで自分のことで怒ったことなんてなかったから
自分に怒りっていう、相方への感情があるとは思わなんだ。
まじ、自己嫌悪で頭ん中がグチャグチャでおかしくなりそーだぜ。
自分の中には、怒りの気持ちと寂しい気持ち。
二種類の相反する感情がどーもあるみたいで。
自分の中にある寂しさに、気がつかないふりをし続けることは
まるで金太郎飴のよーな、そんな終わりのない哀しみで前が見えなくなるし。
かといって怒ることを我慢しちゃえば、負パワーが心の奥底でくすぶりまくって
きっと、もしかしたら、相方を憎むよーにボクはなってしまうかもだし。
そんなの、絶対にやだもんね。
二つの感情はワンセットであってどちらかをひとりぼっちにしてはいけない気がするの。
だから、自分の中で見ないふりしている感情があったりすると、深層意識の中で
その感情が渦巻いて、自分は立ち止まったまんま歩き出せない気がするんだ。
そーさ、明けない夜はないのさ。
ムリクリ無菌室かのよーな、ステレオタイプなポジティブシンキングを気取っても
いつまでもそこから足が動かないのは、実はそういうことなんじゃないかって。
全部、おええええって、うぉえっぷってゲロ吐き出したら
そしたらさ、癒されてそのうち、にぶーく遠い痛みに変わっていくよねきっと。
全てにありがとさんって、言える日が来るよねきっと。
ね?どちらかが絶対的な『悪』の立場になるんではなく、
どちらも公平な立場の傍観者なんだとボクは思うんだ。
今よりもハッピーになるために、それぞれが別な道をチョイスしたんだと思いたい。
ボクはもー、相方を引きとめたいって気持ちは、どーやらないみたいなんだ。
ただ、相方には幸せになってほしいなって、そんなふーに思うだけ。
ボクは家族の暖かさをあまり知らなかったから・・・
だから、相方の家族さんの、理想的な家族像にすっげー憧れてて
この関係をどんなに自分が苦しい思いをしたとしても手放したくなかったんだと思うんだ。
まるで、ガキの頃手に入らなかったおもちゃを
大人になってやっと手に入れて、誰にも渡したくなくて駄々をこねてるよーな。
現状を受け入れられたら、そのことに対する執着も吹っ飛ぶかもって考えてました。
今まで自分を創ってきたもんが、なにもかも脆く崩れ去ろうとしてて、
ひとりぼっちになる恐怖に、ボクはおろおろしっぱなしだけど
相方を責めないことと、自分の中で整理をしながら前を向いていきたい。
ってのは、ボクの中では不思議なことに変わらないの。
だからボクは相方のこと、心のどっかではとっくに許してるのかもね。
少しづづ、焦らずに。
あー、完徹モードから体調悪いのでもう寝やす。
ここんとこ、ドス暗い日記でごめんちょー(笑。
おやすみっ。